戦争時代の建築物を後世に残すことが将来平和に繋がっ...
霞ヶ浦海軍航空隊 有蓋掩体壕 / / .
阿見町にも掩体壕はある(残っている)のか❗驚いた😲‼️2021年10月4日(月)に阿見町の街歩きで訪れた。
阿見町の指定文化財として、普通の民家の庭に残されている。
詳細な写真はWebサイトにて。
千葉県や東京都にも掩体壕はいくつかあるので、その大きさや形状を比較すると興味深い。
「あみ観光協会」のホームページより●「掩体壕(えんたいごう)」とは、航空機を空襲から守るための格納庫の役割をする建造物で、コンクリート製の屋根のある“有蓋型”と土を盛っただけの“無蓋型”などがあります。
阿見町に現存するのは、かまぼこ型をしたコンクリート製の屋根のある“有蓋掩体壕”です。
この掩体壕は、阿見町に大正10年に開かれた「霞ヶ浦海軍航空隊」の飛行場内にあったもので、戦後飛行場が開拓された時に、開拓者の住居として使用されていました。
町内で唯一現存する掩体壕です。
以下は写真の案内板の内容●阿見町指定文化財霞ヶ浦海軍航空隊有蓋掩体壕指定年月日 平成22年3月15日所在地 阿見町大字阿見字阿見原5383番2所有者山田敏子寸法 開口部 約14メートル 前面幅 約22メートルこの壕は太平洋戦争中敵の空襲から飛行機を守るために霞ヶ浦海軍航空隊飛行場周辺に造られた二十一基の有蓋掩体壕のうち、唯一現存する壕である。
建設時期は昭和十八年末から昭和二十年初頭にかけて建設され、鉄筋コンクリート造りの上に土を盛った構造である。
空襲時は機体を後部から壕の中に引き入れた。
雨水排水のため壕の基礎部分は少し傾斜している。
終戦後海軍から払下げを受けて居宅として使用されていただめ残すことが出来た。
他の壕は戦後の鉄不足の影響で、鉄筋取りにあい、全部壊されてしまった。
太平洋戦争末期航空劣勢下にあった海軍航空部隊の様相を如実に物語る遺産であり、近代化遺産としても重要である。
名前 |
霞ヶ浦海軍航空隊 有蓋掩体壕 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
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戦争時代の建築物を後世に残すことが将来平和に繋がっていくはず。
しかし最初に観たときはびっくりした。
この上空を米軍機が飛んでいて狙っていたと思うとぞっとします。