元禄2年5月14日に芭蕉と曽良が一関から岩出山に向...
2020年10月13日に訪問しました。
一ノ関の歴史を知るには、外せない寺院です。
伊達藩の伊達騒動で伊達兵部宗勝が土佐に配流になり、領主が田村家に変わりました。
田村氏の菩提寺が、ここ祥雲寺です。
転封される以前の田村氏の領地は、岩沼市でしたので、この御寺の前身も岩沼市にありました。
累代の藩主が眠る墓所が、階段の奥に有ります。
近年、伊達兵部一族の菩提寺で、明治に廃寺になった豊谷寺の墓碑をこの御寺が引き取って供養しておられるそうです。
また、忠臣蔵の御縁で浅野内匠頭の慰霊碑も建立されています。
田村藩(坂上田村麻呂)の菩提寺。
坂道の勾配がキツイです。
家のお寺では、ないからよく😖ないです❗
由緒ある寺院ですが、あまり手入れがされていない感じです。
東北の広大な樹木葬墓地契約料は50万円。
2体目以降は1体につき10万円で、何体でも。
年会費は8000円だが、払うのは生前だけで、埋葬後に家族等が払う必要はない。
継承者がいない場合も、撤去されることなく、永続的に保護されるそうです。
一関市台町の〔祥雲寺〕の前の道は〔はさま街道〕と呼ばれる道で、元禄2年5月14日に芭蕉と曽良が一関から岩出山に向かった道とされる。
〔はさま街道起点〕の説明板と共に、〔芭蕉の道標〕と呼ばれる小さな碑が建っている。
(奥の細道 ⇒ (姉葉の松=芭蕉は訪れていない) ⇒ 大崎市市民ギャラリー緒絶の館)
名前 |
祥雲寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0191-23-2789 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
一関藩主田村家菩提寺です。