大河ドラマの後に訪れる人が増えたと聞きました。
案内板より、藤原清衡は平泉に進出して奥羽の覇者になった後、現存する国宝「紺紙金銀字一切経」五千三百巻余を生誕の地江刺郡益澤において、八年の歳月をかけて書写させたと伝えられている。
現存する經文の奥書に魔詞般若波羅密經巻第三十元永二年己亥五月廿五日庚午午時許於奥州江刺郡益澤院内書之畢 執筆修行僧尭暹大檀主 藤原清衡 北方平氏と書かれている。
この年清衡は六十五歳であった。
寺院の称号はその地名による例が多く、江刺郡には他に「ますざわ」の地名が無いこと、付近に豊田舘跡や御館山と呼ばれる城砦の跡が残ることから、益澤院は此所にあったと断定されている。
なお、付近の山中に数基の經塚が存在し、その一基から平安時代製作の經壷が出土しており、またこの辺には阿弥陀堂、阿弥陀堰の地名が残るほか、日天、月天を祀る日月堂や和光院、八雲神社が現存し、宗教的に重要な地域であったことを物語っている。
江刺市。
奥州藤原氏初代清衡の祈祷寺。
ここで金泥行・銀泥行が交互に来る紺紙金銀字交書一切経5,300巻余りを8年がかりで写経させた。
名前 |
益澤院跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大河ドラマの後に訪れる人が増えたと聞きました。
院の跡はありませんでしたが、悠久風景等を思い描ける場所でした。