山の中の小さなお堂です。
上を見ないで見落とす所でしたが、軒下の彫刻が、西洋のガーゴイルの様でとても見事でした。
山の中の小さなお堂です。
陸前高田市の有形文化財に指定されているだけあって、こじんまりしていますが美しいプロポーションをしています。
正方形の三間堂の裏に六角堂を廊下で繋いだ珍しい造りです。
小さな川を渡った敷地の下り口には、狛犬が結界を張っています。
岩手県のお堂は狛犬かはいちされたパターンを見かけますが、ここもそうです。
戦時中は、出征兵が無事に帰れることを祈願して、たくさんの人が訪れたそうです。
ご縁日ともなると境内に屋台やうどん屋まで出来たそうです。
現在は当時の賑やかな状況は見られませんが、当時地域を襲った疫病封じの為にちょうど400年前に即身成仏された宥健尊師は確かにここにおわします。
宥健尊師は弘法大師と同じ四国香川のご出身。
高野山で修行された後、高田へ呼ばれて園路はるばる来られたそうです。
矢作の清水の湧水地に向かう滝見橋の脇道を少し上がって滝の上流に有ります。
優しげな観音様も居られますので、ついでに是非参拝されてはどうでしょうか?気持ちの良い場所なのでオススメします。
御宝号は 南無宥健尊師(なむ ゆうけんそんし) です。
お詣りの際に、お唱えください。
工事中でしたが中々の風格と独特な雰囲気 山間のこの静かな感じも良い。
物静かな山の中に建っている重厚な作りのお堂である人など滅多に訪れないであろう場所なのだが整備はされているらしく境内整えられている。
閑董院概要。
閑董院は岩手県陸前高田市矢作町字馬越に境内を構える宥健尊師堂で、白糸の滝の上流に位置しています。
創建は江戸時代初期の元和6年(1620)に付近に疫病が広がった事で、宥健法印が洞に篭もり断食請願した所21日目で息絶えましたが疫病は瞬く間に静まりました。
周囲の人達は宥健法印の徳を讃え、この地に祠を建て祀ったとされます。
現在の建物は明治23年(1890)に気仙大工だった吉沢幸作を中心に脇棟梁に金野亀次郎、菅野善右エ門、木挽は小林鶴治などがあたり、彫刻は山形県出身の高山専蔵が中心となりました。
拝殿は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行3間、張間3間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、唐破風懸魚には鳳凰、向拝欄間、木鼻には龍の彫刻施され、拝殿にも唐獅子の木鼻や複雑な組み物で構成されています。
奥殿には花頭窓の付いた廊下(社殿建築でいう幣殿)で繋がり、奥殿は意匠的には質素ですが、六角形の宝形屋根で基壇部分を石垣で組むといった特異の構造をしています(本来、寺院建築なので、拝殿や奥殿という名称は不思議ですが案内板に則っています)。
閑董院宥健尊師堂は明治時代に建てられた御堂建築の遺構として貴重な事から平成6年(1994)に陸前高田市指定有形文化財に指定されています。
名前 |
閑薫院宥健尊師堂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.3 |
白糸の滝の上部が見たくて行ったら尊師堂が見えたのでお参りしてきました。
お賽銭箱が無くあれっ?っと正面の引戸を見たら◯の穴に入れて下さい!と書いて有ったのでワクワクしながら気持ち入れてきました。