ベンチの位置からだとススキの群が生い茂っていて見え...
中に入って内見もできますここは丘の上にありここから村を見渡せます駐車場は無いので車で来る人は水車の向かいに観光用駐車場がありますのでそこに停めましょう。
棄老伝説の場所から遠野を望むと、スッと風景に溶け込む気がします。
季節ごとに趣きがあると思います。
遠野物語を読んで以来、いつかは来てみたい場所でした。
ようやく念願が叶いました。
ここからほど近くの宿泊施設に泊まったので、早朝に来ることができました。
畑を挟んで里を見下ろすような位置にあり、かつてここから里を見た人々の胸中を想像するといろいろな思いが湧き上がってきてとても良い経験ができました。
遠野物語の姥捨て伝説の地として知られる遠野を代表する観光地の一つ、5haほどの原野、一部耕作地。
遠野物語111話「山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺及び火渡、青笹の字中沢並に土淵村の字土淵に、ともにダンノハナと云う地名あり。
その近傍に之と相対して必ず蓮台野(デンデラノ)と云う地あり。
昔は六十を超えたる老人はすべて此蓮台野へ追ひ遣るの習ありき…」(遠野市公式ウェブサイトより)
2012年8月訪問遠野物語の話者、佐々木喜善の生家の裏手に広がるかつて60歳になると村人たちはここに捨てられ自給自足の生活をしながら死を迎えたという「ダンノハナ」と呼ばれる墓地が近くにあり現世と来世の間の地として考えられていた姥捨て=山奥と思いがちだが実は徒歩圏内に民家がある捨てられた老人は昼間家の仕事を手伝い夜ここで過ごすと言う生活を送っていたそう。
藁葺きの小屋が広い野原にポツンと建っている景色は、姥捨山伝説を想うと何とも言えない寂しさがあります。
広い野原に小屋が一つのデンデラ野。
観光としては物足りないかもしれないが、昔の暮らしを色々考えさせる場所。
途中の高宝橋にはリアルなシンボルが、なんか苦しい気持ちになった。
現在は何もありませんが、昔話に縁があると思うとひとしお。
道中はなかなか狭いところもあるので、人がいない感覚も味わいたければ朝をおすすめします。
姥捨て山だった地のようです。
東北の雪深い地なので、お米が不作の年は、口減らしの為に本当に姥捨てをしていたそうです。
早池峰神社では座敷わらしが生まれるという不思議な土地柄なのに…老人は捨てられていたなんて…神様への生け贄になっていたのでしょうか?不思議な事が沢山起こるこの土地は、何か変で魅力的ですね!
かつて姥捨山と呼ばれたところです。
観光目的ではなく畏敬の念を持って行ってみたいです。
駐車場ありません。
駐車場が奥にあるかと思い細い一本道を登りましたが駐車場がなくバックて斜面を降りることになり大変でした。
かつて姥捨て山があったとされる場所。
姥捨て山などと言うと楢山節考のように年寄りを山へ置いてくる、或いは谷底へ落としてくるというようなことを連想してしまうが、このデンデラ野においてはむしろこのような解釈がなされているともいわれている。
それは、その昔徴税の基準は人の頭数で決まる為、60を過ぎた老人はデンデラ野に捨てて共同生活をさせ、ここに暮らしているのは人ではないという事にして課税を逃れたという事なのである。
また翻って河童渕のカッパも子供はカッパであり人ではないということではやり課税の対象外としたというものだ。
そうであるならば山間の豊かでない地域の方策・方便といったところだったのだろう。
ほぼ野原です アクセス悪し掘っ建て小屋があるのでそこで明治時代に想いを馳せました。
遠野物語の聖地巡礼として。
雰囲気も良く、人が少なかったのはとても良かった。
遠野物語を未読の人には星2かもしれない。
ちょうど稲穂が綺麗で 田園をみれてよかったです 昔は姨捨の所でしたが そういうこともあったのだというのが ここにきてよくわかりました 来れて良かったです てまえに川があり橋のたもとのモチーフがいい この川を渡り 親を背負った息子が親を捨てにいくシルエットです。
昭和な田園風景が楽しめます!
かつての厳しい暮らしが思い浮かぶ。
実在した 姥捨山です!それを聞いてから ここを訪れると なんとも侘しい気持ちで 野原を眺めました。
広い岩手県 冬は 厳しい この土地… 内陸で 米が不作の年は 食べるものに 困っていたのだと 簡単に想像がつくような 田舎です❗昔話の村に 本当の昔話の地が… 雪女も いても おかしくないかも… でも 座敷わらしの町なのですよね。
名前 |
デンデラ野 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
プレート、ベンチの位置からだとススキの群が生い茂っていて見えませんが右に歩いていくと茅葺き屋根の家が見えます。
写真右側に入り口があり中に入れます。