3年ぶりに花火が打上げられました。
新型コロナウイルス感染症の影響から中止を余儀なくされ、3年ぶりに花火が打上げられました。
新宮納涼花火大会の花火が新田山山頂から打上げられます。
ここ新宮宮内遺跡公園からは、花火鑑賞をすることが出来ました。
但し、公園駐車場から出るのに時間が掛かります。
令和4年7月23日 20時から20時40分まで。
弥生時代の竪穴住居の復元が立派です。
市民ボランティア弥生倶楽部、龍野北高校、国立明石高専の皆様お疲れ様でした。
ありがとうございます。
9月26日、彼岸花祭りに行きました。
10日前には、赤、白、黄色、桃色、オレンジと、五色ぐらいの色が楽しめたけど、今日は、ほとんど赤しか咲いていませんでした。
縦穴式住居が再現されていて、広場も広く、ゆったりとした気持ちで過ごせました。
近くに新宮図書館があり、そこでもゆっくりとした時間を過ごせます。
五月下旬の晴れた日に訪れました。
風が気持ち良かったです。
気持ちの良い、とってもワイドな場所。
弥生時代の集落のレプリカが佇みます。
季節がいい時にはしばらくベンチに座り、弥生時代に想いを馳せれるかも?!低木が多く木陰が少ないです。
夏場は帽子や日除けは必須かと。
集落を守り戦死したとされる、戦士の墓のレプリカにはロマンを感じました。
広大な遺跡公園です。
昔の人々の暮らしぶりに空想力がフル回転するような感覚になります。
サヌカイトが発見されていることから、讃岐地方と交流があったと思われます。
物々交換などしていたのでしょうか。
道の駅🍙🚗🚚新宮から運動がてら歩いていたら⁉️弥生時代の遺跡に出会えた‼️
曼殊沙華が咲いていました。
初めて見る 白と黄色の曼殊沙華も咲いていました。
真っ赤な曼殊沙華も美しいですが、真っ白な曼殊沙華も気品がありました。
この時期しか見ることはできないので、ぜひ皆様も見学に行ってはどうでしょうかネットでは、黄色のショウキランと赤の曼殊沙華の雑種が、白の曼殊沙華だそうです。
弥生時代の竪穴式住居跡を復元されている史跡公園です。
敷地内に住居を再現されていたり、お墓の跡や、溝跡など、その当時の暮らしを感じるような再現をされているので、子供がもし居たら連れてきてあげると勉強になるかな?と思った公園でした。
日陰や、水場などがないので、夏は熱中症に気をつけてくださいね。
たまに散歩しに訪れる『新宮宮内遺跡』ufeffufeff実はたつの市新宮町の歴史が深いのを、ufeffこの地に初めてきた時に知ってビックリした👀‼️ufeffufeff縄文時代からのこの地に人が住んでufeff集落になっていたんですね😮🏠ufeffufeffさらに当時としては、国内最大級のufeff円形周溝墓・方形周溝墓・土坑墓群などの遺構がufeff良好遺存明らかになったそうだとか(o^^o)ufeffufeff「復元堅穴住居」はの2棟は平成24と平成26年にufeff復元されたものなんですね❗️結構最近だったんだ‼️ufeffufeff通りで最近まで知らなかったんやぁ😅ufeffはじめてみた時は、子供の頃からずっとあったのに、ufeff知らないままだったのかと思ってましたwwufeffufeffufeffぜひ、まだこの地に訪れた事の無い人はufeffコロナ落ち着いて以降に、遊びに来てくださいね^ - ^→♪♪ufeffufeff新宮町にもいい所は、まだまだ沢山ありますからufeff自分の目で観にきて欲しいですねぇ😆💖ufeffufeffufeff※下記たつの市ホームページより引用ufeff【指定名称】新宮宮内遺跡(しんぐうみやうちいせき)ufeff【国指定】史跡ufeffufeff新宮町新宮・宮内に所在する集落跡で、ufeff生活の跡は縄文時代から平安時代に及んでいる。
ufeff遺跡が最も栄えたのは2000年あまり前のufeff弥生時代中期である。
ufeffufeff発掘調査によって円形や方形の竪穴(たてあな)ufeff住居、溝を巡らせた墓、多数が並行する大きな溝をはじめ、大量の土器や石器が見つかっている。
とりわけ、分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)は県内最多の出土数を誇る。
ufeff現在、西播磨を代表する弥生時代集落として、ufeff史跡公園整備を進めている。
ufeffufeffufeff【新宮宮内遺跡】ufeff〒679-4313 ufeff兵庫県たつの市新宮町新宮343
新宮町新宮・宮内にある集落跡で、縄文時代から平安時代にかけての遺跡群とのことです。
遺跡が最も栄えたのは弥生時代中期頃といわれ、広大な土地に集落跡が無数に点在していました。
殆どが跡地の広大な野原という印象ですが、なかなか見応えがありました。
訪:2020/03/15
市外から来たので大変勉強になりました。
身近な家族連れや、社会科学習にいいかと思います。
また、改めて行きたいです。
縄文時代から平安時代の住居跡などの遺構が発見されている。
弥生中期と見られる約60基の住居跡、円形周溝墓などの墓の跡が良好な状態で残っている。
墓跡から石鏃(せきぞく~矢じり)が出土しており、矢が刺さった遺体を葬ったとみられ、周囲との間に激しい抗争があったことが伺える。
弥生後期になると集落は途絶えてしまい、大きな争乱で廃絶してしまったと考えられている。
日本の歌だけ、古い村と大地(原文)Only japanese sings, an old village and beral ground
名前 |
新宮宮内遺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
http://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/shitei_bunkazai/shingumiyauchi.html |
評価 |
3.8 |
普通の公園ですが、こんな遺跡があるのは知らなかった!週末に行きましたが、がらーんと空いています。
特に遊具などもないので、よく言えばのんびりできます。