一か八か軽自動車でチャレンジしてみました。
自然崇拝の形を残す歴史ある良い神社です。
自然に対して謙虚である事はとても大切な知恵だと思います。
神社から見て右手に大きな磐座。
これが座右の銘のはじまりでしょうか。
他の方の口コミに、駐車場は無いと書いてありましたが、一か八か軽自動車でチャレンジしてみました。
結果から申しますと、鳥居の前に1台なら停められます。
でも、何度か切り返しして停められる程度の広さなので、ミニバンクラスでは間違いなく立ち往生します。
境内は結構広く、巨石、苔、木々がいい雰囲気を醸し出していました。
今はこんなにも廃れていますが、実はとても歴史ある古社です。
「播磨国内鎮守大小明神社記」(1181年)には赤穂四社のひとつに挙げられています(残りの3つは上郡町の八保神社、鞍居神社、赤穂市の伊和都比売神社)。
神社の背後の山は万葉集にある「矢野神山(やののかみやま)」とされ、境内には柿本人麻呂がこの地に立ち寄った時に詠んだとされる歌を刻んだ碑も建てられています。
その御神体である山の頂上に大きな石があり、神様がその石の上に降りた時に石の一つが転がり落ちて、社殿横の巨石になったとのことです。
しかしながらその矢野神山、「我こそは矢野神山!」と手を挙げているところがここ以外にも広島県、愛媛県、三重県、島根県などにもあり、実はよくわかっていないそう。
拝殿は見た目はよくある村の小社といった感じです。
中にはおびただしい数の絵馬が掛けられていますが、やはりご当地ヒーローである赤穂義士の肖像画47枚も忘れずにしっかりと飾ってあります。
また天保や慶應と読める絵馬もあり、寂しく小さな古社ながら昔から地元の崇敬を集めていることが伺えます。
中でも慶應三年丁卯(ひのとう)九月の絵馬は状態も良く「御宝前」「萩大名之図」などとはっきりと読めます。
萩大名は狂言の演目のことで、絵はその一場面を再現しているようです。
この神社のすぐ西の山上には感状山城があるので、この辺りは新田義貞の播磨攻めでは戦場となり、豊臣秀吉の上月城攻めではこの神社も戦火にかかったかもしれません。
拝殿内にある由緒書には天正 11年 (1583年、本能寺の翌年)11月に社殿をこの地に創建と記載されていることから、播磨平定後の戦後処理の中で再建されたと思われます。
もし兵火にかかることがなければ、このお社も往時の立派な姿を今に伝えていたのかもしれません。
奥の院にイキたい。
伝説の神社を知りたい。
縄文の香り、凄い。
空気感と時間の流れが良かったです。
大きな神社で歴史を感じます。
本殿の脇に「座光石」が奉られています。
駐車場はありませんので,県道脇のスペースに駐車するしかありません。
県道から龍王山の磐座が見えたとき、思わず息を呑みます。
駐車場がないので、近くの公民館に停めさせて頂きお参りしました。
境内にも磐座があります。
万葉集の歌碑あり妻ごもる矢野の神山露霜に にほひそめたり散らまく惜しも(柿本人麻呂/万葉集)朝露ににほひそめたる秋山に 時雨な降りそあり渡るがね (柿本人麻呂/人麻呂歌集)
名前 |
磐座神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
背後の山が御神体かな。
氏子さんに大事にされているお社。