奥に広く緑が多く静かにのんびり出来ます。
都内に残る城跡は丘陵地の土造りの砦ですね。
神代植物園の一部となっていて、周囲は竹林など、中央部は谷状に沈んでいます。
深大寺門前の喧騒から遮断されたように、芝生を樹々が覆い、静かな別世界。
陽だまりの中のんびり過ごすのに良い穴場。
深大寺から、深大寺城も訪問👣(^^)。
都立神代植物公園内にあるとのことで公園入口から入園。
紅葉を楽しみつつ城跡側に向かう階段を登ると石垣発見👀。
第一郭跡の、小口、土累、空掘を鑑賞しつつ、第二郭へ行きそば畑を見て、扇谷上杉氏方·息子朝定が造営したお城を堪能してきました(^^)。
調布周辺では最も人気のある観光スポットである深大寺一帯は、深大寺そばを求めて観光客が押し寄せていますが、城跡周辺は訪れる人も少なく、緑が豊かで、古城の雰囲気を感じることができる、歴史に関心がある人には楽しめるところです。
初夏に登城すると土塁を覆う芝生の緑が映え、とても印象的でした。
神代植物公園の飛び地に水生植物園があります。
湿地帯に隣接した小高い丘が深大寺城跡でした。
昔は周囲が湿地と雑木林に囲まれ、遠くまで確認できたと思います。
今は急坂を昇り詰めるとそば畑が見え、芝地・空堀・土塁がありました。
広い緑に囲まれた空間を親子がピクニックで楽しんでました。
小さなお子さんがいらっしゃる方でしたら、広い空間を1人占めできますよ。
歴史好きの方でしたら、昔を想像しながら、土塁・空堀をゆっくり歩くと、まったりしながら気分が癒されます。
公園でなかったら、もう造成されて住宅地かな。
郭や土塁、空堀の跡が残る。
近くの深大寺に参拝したり、名物の日本蕎麦を食べるのも楽しい。
遺物があるわけではありませんが、趣もあり静かで気に入りました。
水生植物園からの坂道は空堀と城郭の石垣が城跡へいざないます。
坂を登った先の高台は芝生の広場になっている。
戦国時代の武士の居住跡の柱の位置に石台が設置されている。
武士たちはこの小高い丘から周辺を見張っていたのでしょうか。
つわものどもの夢のあと…そんな俳句想い浮かべました。
広場周辺の遊歩道を中学生の男女がランニングに精出していました。
深大寺門前町周辺の賑わいをよそに、水生植物園とともに静かなところ、のんびり過ごせます。
よく整備されてはいるものの、空堀などはしっかり残されている。
二郭奥の土塁と空堀は兵を隠密に移動させる通路かと思います。
深大寺城跡深大寺植物公園から入ります。
入ってトイレを正面右にいくとそば畑のある本丸に到着します。
ちなみに隣接する蕎麦屋(多聞)の大盛りはヘルメットなので是非一度。
天気の良い日に行ってきました!遺跡跡という事ですが、整備されてて、ベンチも結構あるので、のんびりするのにとてもステキな場所です。
神代植物公園の「離れ」、ひとけの無い水生植物園の一角にあり、小高い丘に登れば小さな看板を見て なるほど なるほど、空堀と土累そして芝生広場。
芝生広場の大きな木は何の木でしょう?冬枯れの枝に小さな実を付けていました。
水生植物園と一緒に無料で回ってくることができます。
今日はザゼンソウが咲いていました‼️一株しか花をつけない貴重な物らしいです。
どこかに資料館のようなものはあるのでしょうか?地形模型と説明板を求めてしまいます。
う~ん、やっぱり予習しておけばよかった❗
水生植物園の南側の台地にある深大寺城跡、国の史跡になっている。
戦国時代、扇谷上杉氏が造営したものだという。
雑木林を抜けると広い草地に出るがここが館跡、周囲には空堀や土塁の跡が残されている。
草地には関東タンポポやヘラオオバコが自生。
一部は、近所の小学校のそば畑に利用され、名物の深大寺そばが育てられているそうだ。
入口が複雑。
テニスコート行きはテニスコートが終点。
植物公園水生植物園の入口を侵入し右手の急勾配の坂を上りきると目的地到着。
小高い丘。
以下引用古くは武蔵七党の狛江氏の築城と伝承される。
戦国期には扇谷上杉氏の所領であったが、天文六(1537)年四月、扇谷上杉朝興は河越城で死去、朝定が跡を継いだ。
上杉朝定は難波田広宗に命じて深大寺城を整備するが、北条氏綱は深大寺城に付け城を築いて封鎖し、直接河越城に進撃、三ツ木で朝定の叔父、朝成に勝利、上杉軍は総崩れとなり、河越城を捨てて松山城に退却した。
扇谷上杉氏は深大寺城から徹底し廃城となった。
北条氏綱が高縄原合戦で江戸城を奪取して、扇谷上杉氏の本拠・河越城を虎視眈々と狙っていたのに対し、扇谷上杉氏が古い砦跡を急遽改修して北条氏の侵攻に備えたのがこの深大寺城と言われています。
しかし、北条氏は当時16歳の氏康の初陣である小沢原合戦に勝ち、一気に河越城まで侵攻しました。
こんな小城など気に留めるほどのものではなかったようです。
もっとも、北条氏がこの深大寺城に対する付城として、牟礼・烏山に砦を築いたことが確認されており、この深大寺城での攻防があったことを伝える古文書も存在するらしいです。
武蔵一円が北条氏の手に陥ちた後には、この城には使われていた形跡も無く、たぶんそのまま討ち捨てられ廃城になったのでしょう。
この一連の江戸城攻防から河越城攻防までは一方的に北条氏の勝利に終わっており、その後の第一次国府台合戦、そして関東の天王山・河越夜戦で決定的勝利を収めた北条氏が、関東の覇者として天正十八(1590)年まで君臨することになります。
その意味では、ここ深大寺での直接の戦闘があったかどうかはともかく、上杉氏の衰退と北条氏破竹の進撃の歴史を物語る場所でもあるわけです。
深大寺と言えば「深大寺そば」を連想するだろう。
かつて、寺周辺の土壌と湧き水は、そばを栽培するのに理想的な環境だった。
しかし、1961年の神代植物公園の開園に伴い、広大なそば畑が公園の敷地になってしまったため、そば農家たちは公園にやって来る人々を目当てに、そば屋を開くようになったそうだ。
深大寺の正門である山門周辺の通りには木々が生い茂り、和の情緒溢れる昔ながらのそば屋が20軒以上も並んでいる。
奈良時代に法相宗の寺院として開かれましたが、その後天台宗に改宗したのが深大寺です。
本尊は本堂にある阿弥陀三尊像。
釈迦堂には国宝の釈迦如来像が安置されています。
敷地内には本堂、釈迦堂の他に4つのお堂があり、短距離短時間でお寺巡りをしたい方には必見です。
深大寺は厄除けとして知られていますが、開山の背景に恋物語があったとされ、縁結びの寺としても有名です。
東京にこれだけの中世城郭跡が残っている奇跡に感謝です。
明るい芝生公園なので、一見すると城趾っぽくないですが、歩き回ってみるとそれなりにイメージがつきます。
マンガ「東京城址女子高生」第3話で登場(登城)しています❤
神代水性植物園は、かつて湿地帯で、城の堀の代わりだった。
城跡は公園になり、空堀は土砂で埋まって浅く、土塁も低くなっている。
城らしさを期待し過ぎてはがっかりするだろう。
看板の説明にあるような深い堀がほんの一部でも再現されていればいいのだが、やはり子どもが落ちたら危険だから難しいのだ。
山城マニア向け。
小高い丘。
周囲には小さな戸建が処狭しと並ぶ。
水生植物園も含めて、無料で散策できます。
水生植物園も管理している神代植物園は有料施設です。
都会のすぐ近くに、緑と水が豊かなエリアがあって、気分転換に最適です。
近くの深大寺にお参りして、参道に並ぶ蕎麦屋で食事をすれば、遠くに行かずとも旅行気分です。
このエリアの南側には中央自動車道が通っていますが、自動車道と野川が交差する近くにあるスーパーの駐車場には、深大寺の湧水が飲める場所がありますので、時間があればこちらも含めて野川沿いの散策もいいと思います。
深大寺城趾、水生植物園(入園無料)子供の天国です。
原っぱや空堀で走り回って楽しめる。
平成19年に国の史跡に指定。
16世紀前半に南関東の覇権を争う小田原北条氏と扇谷上杉氏の攻防のなかで、扇谷上杉氏方が再興した戦国時代前期の城館跡。
当時の空堀、土塁、腰郭などの遺構を残す。
水生植物園として整備し過ぎず水辺の散策気分を味わえる水も淀んでおらず夏場でも蚊がかなり少ない。
奥に広く緑が多く静かにのんびり出来ます。
広々とした芝生の広場、空いていてのんびり出来ます。
深大寺城跡です。
無料で観ることができます。
公園の奥の穴場スポット。
木立のために眺望は良好とは言えないものの、小高い丘で歴史を感じつつ静かな時間が過ごせる、風が気持ち良い場所です。
そばどころだけあり、蕎麦畑があり、蕎麦の花が楽しめる時期もあります。
名前 |
深大寺城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1574056404922/index_k.html |
評価 |
3.8 |
水生植物園の上の小高い丘に向かい、小道を登ると深大寺城跡の石碑がありました。
その奥に広い芝生があり、とても大きな木があり新緑の葉をなびかせていました。
ベンチもあり、とても落ち着く場所でした。