青い空がとても合っていて綺麗です。
御朱印は書き置きの物があります。
お婆様が対応してくださいましたが足元が弱っているため、本堂横のインターホンを押してから出て来られるまで時間が掛かります。
気長に待ってあげて下さい✨
岡山県下最古の木造建築物である【三重の塔】。
修繕を終え真新しい鮮やかな紅色が目を引きます。
一度は訪れてみたい国の重要文化財です。
岡山県美作市真神。
鑑真和上が開基した山上の寺院を移築したものです。
三重塔は岡山県下最古の木造建造物で厳かに凛として佇みます。
駐車場もトイレもあります。
休憩場もありますので子連れでハイキング気分も味わえます!
穴場的な寺院でした。
雰囲気よし。
真っ先に目をひく朱塗りの三重塔は圧巻ですね。
遠くからも、そして近くからも2度楽しめます。
国の重文、納得です。
本院、三重塔とあって、その裏になぜか神社様式の建物あり。
瓦屋根なのにこの造りはどうなってんでしょうか。
やっぱり寺院?謎です。
駐車場は分かりやすく、10台分のスペースあり。
お手洗いもキレイに整備されてありました。
地域の方の心尽くしに感謝です。
その意味でも浄財入れにはしっかりと御布施したいものですね。
湯郷温泉とセットで観光してみてはいかがでしょうか。
平日に行ったためでしょうか観光客はいませんでした。
寺の前に無料駐車場があり滝まで歩いて行けます。
田んぼと三重塔が郷愁をさそいます。
初詣参拝させていただきました。
本堂や朱色の三重の塔はいつ来ても綺麗に清掃され気持ちの良いお寺です。
本堂にておみくじあり、帰りに御朱印をいただきました。
このお寺は 千早の滝から徒歩で1時間くらい遡上したところにあった。
そこは真木山と言われ 周りを山に囲まれた盆地がある。
僧鑑真上人か創建と伝わる。
室町初期には三重塔が再建されたと。
江戸時代森藩の信頼も厚く80石も寺米としてもらっていた。
美作の国のうちで これだけもらっていたのは 木山寺 本山寺ぐらいだと思う。
そんなわけで 江戸初期には長福寺 般若寺等26の寺・学呂・僧坊があったと記録に残る。
当時は西の高野山ともいわれ 多くの信者でにぎわっていた。
ところ゛ 元禄10年1697年 森藩が改易となり 幕領を経て上州沼田藩になると 庇護もほとんどなく 明治初めには2か寺となり それも一緒になり1カ寺に。
大正年間に火災にあい本堂と3重の塔を残すのみとなったので それを機に下山した。
三重塔は残されたが 昭和26年ごろ檀家を中心とした青年たちの手で 現在地に移された。
その後何回もの檜皮葺とう化粧直しをして 現在に至っている。
この寺には 15.6点の国指定重要文化財がある。
明治30年代 かの有名な 前田香雪がつが調査にやっていてすぐさま 国宝にしたものがある。
彼は ここにこんなにすごいものが残っているのに驚愕したと伝わる。
現在は重文となっているが 県下でもこれだけ国指定重文を持っているところは少ない。
真木さんにあったこそ 戦国時代の騒乱にあわなかったからであろうか。
この地方では13歳になると 虚空蔵さんに参る習慣がある。
この一番高い虚空蔵さんも 真木山から降りたものである。
県下最古の建築物である三重塔を檀家の人たちが力を合わせて守っていらっしゃる。
なかなかできないことである。
最近 元 寺があった真木山の大伽藍の史跡を後世に残す会が 活動をはじめ 少しづつではあるが 整備されてきつつある。
長福寺か そのまま 真木山にあったら 国宝になっていただろうと関係者は言っている。
火災にあわないよう大切に保存したいものである。
真木山とともに訪れてほしい。
初めて行きました。
しかも偶然。
しかし、すばらしい三重の塔に出会いました。
美しい背景に溶け込み、地元の方々の信仰の力で長い歴史を生き抜いてきたすばらしい塔です。
私の見てきた桧皮ぶきの塔では、山口の瑠璃光寺、奈良の室生寺の五重塔と同じくらいの美しい塔だと思います。
こんな山の中に、よくぞ残っていると感動しました。
住職の奥さまに本堂に上がらせて頂きました ご本尊は蔵にしまわれているそうで写しのものが祀られています ご本尊の写真や曼荼羅の写真等が、展示されていました 後七福神巡りの一寺となっています 御朱印も頂きました 真言宗なのか境内の中に立派な神社もありました 勿論三重の塔にも近く迄目に焼き付けました 有難う御座います。
名前 |
長福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0868-74-2026 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
遠めから見た三重塔の朱色か鮮やかでした。
お寺は、お留守みたいで余り様子が伺えませんでしたが、立派な寺院でした。