駐車場が城のすぐ下にあるので便利です!
小高い丘の上にありますこぢんまりとしたお城ですがキレイに整備されており、眺めはなかなかのものです無料で駐車場も完備されています上までの道に一部狭いところがありますので注意して下さい。
確かふるさと創生の頃に整備されたお城だと思います。
天守閣のあるお城は新しすぎて、山城の赴きはありませんが、吉井川を眼下に望む景色はなかなかのものです。
無料でこれだけのものを提供しているのは凄いと思います。
石段右脇の遊歩道へ進むと、かなり下まで降りられますが夏場は蛇が多いです。
体力との相談でどうぞ。
駐車場まで細い山道もあるので、車での通行には注意して下さい。
展望台からの景色はなかなかのものです。
和気駅からバスで周匝まで。
ただし、バスの本数が非常に少ないので注意する必要があります。
周匝のバス停からは歩いて30分弱です。
空堀に降りていくことが出来るところがありますが、非常に滑りやすいので注意が必要です。
歴代城主であった池田氏の墓が道沿いにありますので、楽しめます。
標高170mの山城ですが、近くまで車で上がれます。
模擬天守展望台からの眺めも最高で、ボランティアの方が綺麗に管理されてます。
御城印は休憩室に、設置されてる箱の中に在ります。
のんびり出来ます。
トイレも綺麗❗
凄い素敵な景色で😊気持ちいい眺め最高です😊
小さなお城ですが、手入れがきちんと出来ていて、なかなか良かったです!写真撮影の場所は、入る前がキレイに撮れそうですね。
眺め良し、一度は行ってみて下さい‼︎
昔なんとなく行ったんですが、久しぶりに再訪しました。
夕方5時には閉城。
城の手前(第1駐車場)への山道は、車で行けますが細い。
車1台分で対向車もしあれば不可。
安全に行くなら第3か第2駐車場に駐車してから歩いて向かうのがいいです。
(ここらへんが大仙山城跡ぽい)再現の天守型展望台は見晴らしいいです✌山城として一度訪れて見る価値はあるかと思います。
無料ですが維持してほしいので、僅かながらも箱に寄付をして帰りました。
初めて行きました。
前日が大荒れの天候で、こちらの山城から積雪⛄した、蒜山三山と大山を望むことが出来て感動しました👍来年は桜の時期に訪問したいですね👍
茶臼山城跡。
天文年間に築城された城跡。
桜の名所でもあります。
真夏にいきましたが城の中は風通しもよく、気持ちよく過ごせました。
周囲が見渡せ、昔から続いているようなのんびりとした景色を堪能できました。
ウォーキングにオススメします。
駐車場が城のすぐ下にあるので便利です!
まだ、行けてないです。
ウィキペディアより築城時期は不明だが、天文年間(1532年 - 1555年)初め頃とされている。
茶臼山(標高約180メートル)は、吉井川本流と吉野川の合流地点である。
備前東部と美作東部の接点であり、周匝平野、飯岡平野を一望できる備前北東部の要衝であった。
また浦上宗景の拠る天神山城の北7キロ程の所にあり、天神山城の上流を守る拠点としての存在価値が高かった。
城郭の形態は連郭式と呼ばれ、2つの尾根上に総延長約800メートルにわたって土壇築成と削り出しによって城郭施設が構築されており、本丸は東南に向って広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、他に出丸・太鼓丸・空堀・井戸・小池・土塁などの跡が遺り、当時として相当の防備を持つ代表的な山城である。
現在も比較的に良好な状態で遺存している城址である。
1579年(天正7年) - 宇喜多氏の美作侵攻により、落城。
1584年(天正12年) - 毛利元清が民政充実のため茶臼山へ移城。
1587年(天正15年) - 豊臣秀吉が、九州征伐に引き続いて征韓の役で三度往復の途次、再三立ち寄った史実があり、また長府藩主毛利秀元との由縁も深い。
1600年(慶長5年) - 関ヶ原の戦いに西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで16年間在城した。
江戸時代には備前池田藩が周匝に一族で家老の池田伊賀守(片桐池田家)を配置し、陣屋を構えていた。
小さな模擬天守ですが、とても見晴らしが良く、見通しの良い日には遠く大山も望めます。
もうちょい古い作りの建物が良い。
景色がいいですね。
散歩コースに最適です。
これからは紅葉!春にわさくら🌸がきれいです、車で上まで上がれますよ。
凄くいい場所でした。
景色もよくお城もかわいい。
車で行けますが第一駐車場までの道は狭くてすれ違いが困難だと思います。
第二駐車場に停めて歩いた方いいかもです。
この時期、桜がとても綺麗で眺めが最高でした。
地域の人に愛されている場所だと思いました。
ただ、お城までの道が狭くてすれ違いに苦労するので星4つにしました。
街を一望できる高台に建つ山城で歴史は古く戦国時代に築城されたらしいです。
ただ戦国時代で戦に敗れ消失した後の江戸時代には、天守閣を持つことは許されず、ただ櫓が建ってたらしいです。
城主は麓の中学校跡地の敷地に屋敷を設けて住んでいた。
姫路城の池田家とは親戚に当たる家系らしいです。
現在の天守閣は戦国時代に建てられていたであろう姿を再現していますが、正確な文献がそれほど多くなく所々は想像や時代考証に基づいたものとなっているらしいです。
名前 |
周匝茶臼山城跡 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
086-954-1366 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
見晴らしはとてもいいのです。
ただ最寄りの駐車場までの道がとても細いです。