日本三奇のひとつ、生石神社の石の宝殿。
石の宝殿(石乃寶殿) / / .
巨大な石が祀られてました。
登りの階段がなかなか険しい🤣🤣すごく神秘的でした。
御朱印は書き置き300円と御朱印帳に記入済2500円があります。
山の上まで登れますが、けっこう足にきます。
手すり等ないので、子どもやお年寄りはお気をつけください。
景色はとても良いです!山なので、もちろん禁煙です🚭️注意書きの看板が面白くて、つい、撮ってしまいました…
コロナ前に初詣で訪れた生石(おうしこ)神社内にある巨石です。
宮城県の塩釜神社の神竈、宮城県の高千穂峰山頂部にある天逆鉾とともに日本三奇の一つに数えられています。
この「石の宝殿」は、国の史跡にも指定されており、高さ5.6m、幅6.5m、奥行き7.5m、推定重量500トン。
水に浮いてるように見えますが、これほどの巨大な石がどうやって浮いているのか...ちなみにドイツ人医師シーボルトもスケッチをしたという記録も残っているそうです。
とても不思議な光景なので、一度訪れて見てください。
パワースポットらしいです。
石が水の上を浮いているように見える不思議な石。
こちら石の周りを一周出来ます😄 100円入れる箱が置いてありました。
散歩でついでに寄ってみてね😄✌️
縦横高さが各6~7メートルくらい石室です。
重さは500~700トンといわれています。
池中の水は霊水でどんな時でも渇くことなく海水の満潮干潮を表しています。
また、万病に効果があるとも伝えられています。
(飲んではだめよ)古代史マニアの間でよく囁かれている噂があります。
「奈良県の益田岩船と兵庫県の石の宝殿は、対でありセットではないか?形的にも、陰と陽ではないか?」「益田岩船」=「宇宙戦艦ヤマトの高射砲」「石の宝殿」=「昭和の時代のブラウン管テレビ」こうなるのです。
これが意味するのは、「昭和の時代に、私たちはこういう形のブラウン管テレビで宇宙戦艦ヤマトという作品を楽しんでいた」こういうことです。
凄いですね〜😲来て良かった!雨の日は裏の山は滑りそう…
日本三奇のひとつに数えられる石の宝殿。
播磨国風土記に名前がみられ、周囲から採れる石材は奈良盆地の古墳の石棺に用いられたという。
実際のぞき込むと浮いているわけではないのだが、眼前にしてみると、古代人がどのようにして500トンにもなるこの石を切り出したのか、想像もつかない。
前の職場のすぐ近くにありながら、ついつい行きそびれていたので寄ってみたが、本当は観涛処を見るために来たのだった。
石を通り過ぎ、観涛処を目指してどんどん岩山を登ると頂上についてしまった。
向こう側から登ってきた婦人と出会う。
「すみません。
この辺に、石に文字が刻まれたところはありませんか?」と聞くと、「ああ、それなら、あっちに見えるあの山ですよ!」と快活に答えられた。
え!あっちかよ!
この不思議な石は、いつ見ても驚きです😱😱😱
古代の人たちはこんな大きな岩を、なぜ、どのようにして掘っていたのだろうか。
巨岩を目の前にするとただそういう素朴な疑問しか浮かんでこない。
神の霊力が宿るのは疑う余地もない。
そんな気にさせてくれる場所です。
原チャリ二人旅。
石の宝殿は圧巻!38みねちゃん。
石が浮いているように見えるパワースポット。
明姫幹線を神戸方面から姫路へ走り竜山の交差点を北へ!そしたら左手に広い無料駐車場があります見事な巨石に神社があります頂上から見渡すと石切場の跡も見れます。
パワースポット。
日本三奇の1つで、不思議な石の型ちです。
資料館に立ち寄って歴史的なお話を教えていただきました。
播磨のロッキーマウンテンでした。
神秘的な場所でした😁動くかなぁ〜と思い押してみましたが…………やっぱ動きませんでした😅近くに石切りした様な場所がありましたので…その場所で切り移動させたのかなっと思いました😆でも…10m程の距離がありましたので…どうやって動かしたのかなと思います⁉︎
生石神社の社伝に、大穴牟遅神と少毘古那神の二神による伝説が伝えられている。
二神が出雲国から播磨国に来た際、石造の宮殿を建てようとして一夜のうちに現在の形まで造ったが、途中で播磨の土着の神の反乱が起こり、宮殿造営を止めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。
しかし二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った、というものである。
南北朝時代の地誌『峯相記』では、単純に「天人が石で社を作ろうとしたが、夜明けまでに押し起こすことができずに帰っていった」と解説されている。
一方、713年から717年頃の成立とされる『播磨國風土記』の印南郡大國里條にある記述には、原の南に作り石あり。
形、屋の如し。
長さ二丈、廣さ一丈五尺(さか、尺または咫)、高さもかくの如し。
名號を大石といふ。
傳へていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連(ゆげのおおむらじ)の造れる石なり。
とある。
「聖徳の王」は聖徳太子、「弓削の大連」は物部守屋と考えられているが、聖徳太子が摂政であった時代には物部守屋はすでに死亡していた(日本書紀による)と伝えられているため、この記述は矛盾をはらんでいるとされる。
日本三奇と呼称されてるだけあって、不思議体験できました!
大きな岩の謂れが不明確なところが神秘的でいい感じです。
石を崇拝するのは自由ですが…石の周りを石で、囲みすぎ 陰陽あるなら 陰 日が当たらない 暗い じめじめしてます。
パワースポット?では、無いです。
登山口があり、石の階段 登れば四方 見渡せなかなか面白い!未だに採石中 ⛰️が…削られている。
💦
何度も行った場所。
雨天には2度目✨ポツポツと浮き石の周りに落ちる水滴音が心地好いです。
(動画あり)御守り・くじ引きはあるけど、お土産「浮石」スイーツはボンマルシェ志方店とイオン・アスパ高砂販売中です。
(写真あり)
確かに何の目的で作られたのか分からない形状の巨石です。
けど、あきらかに何かに利用しようとして削ったようなかんじがしますし、本当に見た感じ巨石が水に浮いているように見えますね。
また、裏山は登る途中で巨石を上から眺める事が出来ますし、ほんの数分程度で山頂まで登れますので、是非登って眺望を見て帰って下さい。
生石神社の社伝に、大穴牟遅神と少毘古那神の二神による伝説が伝えられています。
二神が出雲国から播磨国に来た際、石造の宮殿を建てようとして一夜のうちに現在の形まで造りましたが、途中で播磨の土着の神の反乱が起こり、宮殿造営を止めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができませんでした。
しかし二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った、というものです。
石宝殿は、人工的な巨石が残る遺跡などに付けられた名称で、兵庫県と大阪府に5ヵ所あります。
・生石神社の石宝殿・石宝殿古墳:大阪府寝屋川市(高良神社裏山)にある古墳・六甲山の石宝殿・金剛山の石宝殿・葛城山の石宝殿。
不思議な立法形の巨石がご神体になっています。
拝観料は100円。
日本三奇の一つだそうです。
用途は不明ですが一枚岩の岩盤から掘り出してある様子は圧巻です。
水の中に蛙の石像が沈んでいます。
鯉がいるそうですが、私は見つけられませんでした。
車道が通っていて駐車場もあるので足が不自由な方も巨石をすぐ近くで拝観できます。
ただ上から巨石を眺めるのは急な石段を登らないといけないので難しいでしょう。
登れる人も雨の日などは滑るかもしれないのできちんとした靴で行くと安心です。
神社の右からも左からも登れますが左からのほうが登りやすいです。
山の上には大正天皇行幸の石碑があり、四方を展望できて気持ち良いです。
なお駐車場の横には石棺が転がっています。
石の大きさにびっくり。
不思議な気持ちで裏山まで登りました。
生石神社のご神体でもある巨石ですが、拝観料がかかります。
浮き石と言われる別名も、目の当たりにすればなるほどと思うのですが、何か自分の思っていたイメージと違ったかなとも思います。
平日や空いている時間帯を選べばじっくり見れて評価は変わったかもしれません。
謎の巨石。
駐車場あります。
裏山に登ると絶景を拝めます。
不思議な石室です。
裏の山に登ってみるのも良いです。
生石神社の奥に巨大な岩が有ります。
岩の周りには水が張っており浮いたように見えます。
大昔の方が掘った様ですが目的が不明。
聞いた話では何かの屋根に使う予定では?と。
巨大な岩の裏を見ると確かに屋根の形をしていますね(*^^*)拝観料100円です。
また、岩はパワースポットです。
溝に注意しながらエネルギーもらいましょ。
名前 |
石の宝殿(石乃寶殿) |
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ジャンル |
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電話番号 |
079-447-1006 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
日本三奇のひとつ、生石神社の石の宝殿。
岩山をくりぬいて成型したけど切り離さずそのまま立っている石柱?で下には水がたまるようになってますが、とりあえず実物を見ることをお勧めします。
側面にはピラミッドみたいなものも削り出されていて謎が深まりますが、未だに何のために作ったものかよくわからないそうです。
ちなみに三奇のほかの二つは宮城県の塩竈と宮崎県の天逆鉾です。