参道がながく雰囲気はそこそこあります。
七五三の参拝者で賑わっていた。
城山が太田氏の居館だったので、おそらくこの神社も大切にされていたはずだ、、、、、という御由緒書きがある。
境内に幾つか気になった石碑があったので,翻刻して私訳する。
①【戰利兵器奉納ノ記碑】神楽殿右手にあり。
角柱型のコンクリートブロックの上に砲弾が四発乗っている。
明治四十年(1907年)三月健之銘。
陸軍大臣寺内正毅の名前あり。
碑文内容は「これは日露戦争の戦利品の一部であり,我が国の勇武なる軍人が熱血を注いで,大勝利を得た記念物である。
ここに謹んでこれを献上して,お礼の気持ちを表し,また,皇運の興隆と国勢の発揚することを祈る※」という感じ。
敵兵の砲弾を記念品として持ち帰り,大陸から無事に帰れたことを喜んで,この神社に奉納したものと分かる。
②【詠古社記念碑】社殿左手の小社群の中にある。
自然石型。
大正七年(1918年)十二月健之銘。
正面に歌を刻む。
詠人・揮毫いずれも比留間彌太郎。
内容は,変体仮名混じりの草書体で,「空叩く 杉の木立を 仰ぎ見し 幾千代経たる 社とぞ知る※」とあるので,詩歌と見られる。
訳するに「空高く伸びた杉の木立を仰ぎ見て,数多の年月を経た神社なのだと知った」という感じになるだろう※。
おそらく百年前にスギの巨木が境内にあったのだろうが,現在は見当たらない。
③【神官金子義休之碑】社殿右手の小社群の中にある。
明治三十九年(1906年)九月健之銘。
健之者は,金子亮成及び金子利兵衛と思われる。
裏面に碑文あり。
その内容は「金子義休は,台村の名主助右エ門の長男である。
幼くして文筆に長け,弱冠(二十歳)父の職を継ぎ,村治は目を見張るものがあった。
数年も経たないうちに,その実弟の桂蔵に??を再継させようと家を譲り,自ら教導職を挂じて,神官となった。
実に明治初年のことである。
晩年一男二女をもうけ,男亮成は別に一戸を立てた。
両家ともに現存する※」という感じ。
金子家は台村の名主であったこと。
義休は明治初年(1868年)に神官となったこと。
金子亮成は金子義休の息子であることなどなど。
この碑文からは様々な情報が分かる。
※以下翻刻【戰利兵器奉納ノ記碑】戰利兵器奉納ノ記 是レ明治三十七八年役戰利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺キ大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之ヲ獻シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ尚皇運ノ隆昌ト國勢ノ發揚シトヲ祈ル 明治四十年三月 陸軍大臣寺内正毅(花押)【詠古社記念碑】詠古社記念 自詠 空たゝく 杦能木多ちを あふき見し 以く千代経堂る やし路とそ知る 社掌比留間彌太郎併書【神官金子義休之碑】金子義休ハ臺村名主助右エ門ノ長男ナリ幼ニシテ文筆ニ長シ弱冠父ノ聀ヲ續キ村治大ニ見ルヘキモノアリ未タ幾ナラスシテ其實弟桂蔵□□聀ヲ続々シト家ヲ譲リ自ラ教導聀ヲ桂シ神官トナル実ニ明治初年ナリ晩年一男二女ヲ挙ゲ男亮成ニシテ別ニ一戸ヲ立ツ両家倶ニ存ス明治三十九年九月十三日健立之 金子亮成 金子利兵衛。
神主さんは常駐されていないので式典がなければ静かですが、参道がながく雰囲気はそこそこあります。
氏子さん達が管理されているので境内は綺麗ですが、建物は修繕があまりされていない感じで古いです。
地鎮祭、七五三などもされています。
暗く境内の清掃も雑。
後厄のお祓いで電話しても受付の対応が粗末で予約が一向に進まない。
氏神様に拘らず他の神社に行きます。
朝霞第2小学校のそばで、静かで落ち着き、癒やされる神社です。
自分の子供たちは、この神社の氏子です。
今回はお札のお焚きあげをお願いに行きました。
とても綺麗にされていて、気持ちが良かったです。
私は氏こなので毎年お参りするし幹事してますので。
僕は昔からこの神社とかなりの縁や暖かさを感じますなんせスサノオノミコトですからね少し寂しいというコメントしてる人いますけどそれは、エネルギーを感じれていないのでは、と思います僕は心静かに耳をすませば、優しく暖かいそよ風が吹くのを感じます。
趣があってよい。
地元の方ばかり。
創建年代等は不詳。
御祭神は素盞雄命(すさのおのみこと)です。
たくさんの境内社がありました(訪神社・八幡神社・三宝荒神社・水天宮・稲荷神社・猿田彦大神・菅原神社・天満宮・須賀神社・御嶽神社)。
駐車場あります。
周りはすっかり住宅街になってしまったが、近所には城山の砦跡や古墳も2つある。
台地の縁にあるので、相当昔から人が住んでいたのだろう。
境内の隣の朝霞第二小学校の児童は境内を通ってプールに行くのだろう。
少し寂しい感じの境内です。
社殿や社務所は綺麗に整備されていましたが、手水が出来ないのが残念でした。
名前 |
岡氷川神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-461-4004 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
岡氷川神社の創建年代や由緒については不詳ですが、岡村・根岸村・溝沼三村の鎮守として祀られていたといいます。
明治時代には村社に列格していました。