国道沿い、少し奥にひっそり佇む敦盛塚。
敦盛公を弔った塚とも、執権北条貞時が平家一門を弔った塚とも言い伝えられています。
※北条氏も平家一門奥に回ると小さな五輪塔ごら2基ひっそりと存在する。
綺麗に手入れされていが恐らく手前の「敦盛そば」さんがお世話しているのかな?蕎麦屋や寿司屋にあるような湯呑みがお供えされていた。
☆織田信長が好んだ節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」幸若舞の演目の一つ『敦盛』の一説🤔☆源平の戦い「一ノ谷の戦い」、初陣、弱冠16才で散った平家の若武者「平敦盛」の供養塔(胴塚)との伝承、室町時代後期に建立、中世の五輪塔では全国2番目の高さ3.5m、目の前が国道2号線でも、須磨浦を望む静寂な地✨
石造五輪等の梵字の迫力は凄い!須磨浦公園駅から、100mほど、案内板が優しく案内してくれます。
一ノ谷の戦いで倒れた平敦盛の供養碑。
日本で2番目に大きい五輪塔。
裏手のイチョウが紅葉🍁して良い感じでした。
国道と鉄道に挟まれれ、ひっきりなしに往来する車と電車の喧騒の中に建っています。
しかし、この国内で2番目に大きな五輪塔の前で手を合わせ、若くして散った武者の生き様に思いを馳せると、心は静寂に包まれました。
でかい!思ったよりでかい!!しかも、室町時代の物だから、どれだけ敦盛が愛されてきたかが感じられる。
素晴らしい!
立派な五輪塔あり、立派な梵字あり、必見で是非足を運ばれると良いかと思われます。
この場所に訪れたかったと思いながら、ようやく実現。
この鎮魂の碑が室町時代に出来たというのは、何だか考えさせるものがありますね。
敦盛様に一礼し、須磨浦公園まで戻りました。
源平合戦を残すものに派手さは無いけど、須磨浦公園まで来られた方はぜひともお越し下さい。
工事が済むまではうるさいですが~無料駐車場が欲しいです❗
■敦盛塚平敦盛(たいらのあつもり)の供養塔がある。高さ4m近い大きな五輪塔。手入れもされてある。北条貞時が平家一門を供養するために建立、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあるようだ。
敦盛は一の谷の合戦で源氏の熊谷直実に討たれ15歳で命を落とす。
●熊谷直実は平家に従うが石橋山の戦いを契機として変わり、源頼朝に臣従して御家人となる。何としても手柄を立てたかった思いは強い。直実には長男の直家当時15才がいた。敦盛と対峙し息子と変わらない幼い武者を目の前にした直実だ。
この時の二人のやり取った様子は有名な話。敦盛の塚や墓は他にも多い。武将なれば首、髷、胴など討取った証になるが悲しくもある。後世も人々の人気を集めるのは手厚く永きに供養した直実(蓮生和尚)があればこそ。人気があるから描かれ絵も遺る。
熊谷直実はのちに出家して法然の門徒となり蓮生(れんしょう / れんせい)と号した。
京都の金戒光明寺に敦盛と直実の墓がある。何と向かい合って二人の墓が在る。⚪須磨寺の騎馬像と金戒光明寺の墓を参考に写真を載せる。⚪備忘にと下記年表を記す。敦盛1169~1184.03.20享年15直実1141~1204.12.04享年63法然1133~1212.02.29享年78親鸞1173~1263.01.16享年89敦盛15没時は直実43、法然51、親鸞8才?
敦盛そば、復活していました。
隠れスポットです。
山陽電鉄須磨浦公園駅を出て2号線沿いに西に少し行きます。
此方のお話は小学校の頃、繰り返し祖母から、聞かせて😢👂💦頂きました❤️ありがとう😉👍🎶ございます❤️
ライトアップされた夜桜は感動的。
源氏の武将、熊谷直実に伐たれた平敦盛(美少年!)の塚。
♫青葉の笛の動画制作の背景に使いたいと訪問する。
敦盛が殺され胴体が残されたと言われている。
側にあるそば屋は閉店していた。
敦盛桜のライトアップは、一見の価値有りです。
プロジェクションマッピングやLEDのライトショウ等、年々盛り上がってます。
須磨浦公園駅からすぐなので、来年も、行きたいです。
最近では国語の教科書にも記載されているそうだ。
平敦盛(あつもり)は平安時代の武将。
平清盛の弟、平経盛の末っ子。
笛の名手。
一ノ谷の合戦で討たれる。
後に能楽として織田信長「人間50年、下天の内を比ぶれば…」の舞でも有名。
平敦盛(あつもり)は平安時代の武将。
平清盛の弟、平経盛の末っ子。
笛の名手。
一ノ谷の合戦で討たれる。
後に能楽として織田信長「人間50年、下天の内を比ぶれば…」の舞でも有名。
平敦盛の供養のため建てられたという大きな五輪塔。
北条貞時が平家一門を供養するために建立し、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあります。
敦盛は、一の谷の合戦で源氏の武将の熊谷直実に討たれ16歳で命を落としました。
大正時代には、子供の病気の神様として信仰され、お礼参りには敦盛愛用の「青葉の笛」になぞらえて、穴をあけた竹に白紙を巻き、水引きをかけたものを奉納したと伝えられています。
この塚の横には「そば処 敦盛そば」があり、敦盛そばを食べることができます。
名前 |
史跡敦盛塚 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
078-322-5339 |
住所 |
〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目4−18 |
関連サイト |
http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/modules/gnavi/index.php?lid=3&cid=10 |
評価 |
4.0 |
国道沿い、少し奥にひっそり佇む敦盛塚。
立派な五重塔です。