重要な戦なのに案内版の内容がショボい。
当時、この地には大物城という砦の様な平城が有ったようで、細川高国軍は此処に駐留していたようです。
長年争われた細川一族の内輪揉めや骨肉の争いと、それに与する利害関係の有る大名達が加わりドロドロの壮絶戦が行われた模様で、天王寺方面からの三好元長軍と西宮方面からの赤松政祐軍に二手から攻められ、細川高国軍浦上村宗軍約2万人が全滅し、管領細川高国も敗走するも捕らえられ近くの広徳寺で自刃で果てた、室町幕府の終焉の引き金となった戦場跡。
大物崩れ(だいもつくずれ)は、戦国時代初期の享禄4年6月4日(1531年7月17日)、摂津大物(現在の兵庫県尼崎市大物町)で行われた合戦。
赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍が、細川高国・浦上村宗の連合軍を破った戦い。
大物崩れの戦い・天王寺の戦い・天王寺崩れとも呼ばれる。
名前 |
大物くづれ戦跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
■大持くずれ戦跡碑(だいもつくずれのせんせきひ)阪神電鉄大物駅近くに在る石碑。高さ2m程の石柱。
建立期は昭和、年は不明。案内標札も在る。道路脇からも見える。公園内に在り、交番隣りになる。標札文では『戦国時代、室町幕府の実権を握った細川氏も、内部で対立がありました。
細川政元の養子高国と同じく養子の澄元・晴元父子が対立し尼崎の地でたびたび戦火を交えています。
享禄4年(1531)の両者決戦では、高国勢は総くずれになり、尼崎へ逃げ込む程の大敗となりました。
追撃は激しく高国は大物の広徳寺で自刃しました。
この戦いを「大物くずれの戦い」とよんで語り伝えられてきました。
』とある。