素晴らしい遺構に感激しました!
標高356m、比高約150m神社の裏側の竪堀周辺から登った。
かなりの急登あるあるっっ ゼエゼエギリギリ手を使わずに登れるか位(;^_^A途中に堡塁ぼこーん みっけ♪南の曲輪にたどり着くと 主郭切岸がドーンと見える♪坂状の食違い虎口には石積残ってる♪主郭サイドにも埋もれ石積♪段々曲輪の切岸が明確でスゴッ♪奥には 残し土橋の堀切ドカーーン♪(’-’*)♪決して大きくはない城郭だけど京都の切岸文化がわかる..気がするトコだった縄張図を送ってくれた城友様♡ありがとー😆💕✨
神社東側に竪堀のような所から登りました。
竹の足場が付いてたんですが、途中で倒木で崩れていて直登になります。
本丸の南側の腰曲輪に取り付き、虎口、曲輪端の石垣が見られます。
本丸東側に井戸跡、石垣跡があります。
城跡の東西が深い谷で切り立っていて、南側も急坂です。
主な曲輪が4、5あるとみられ、南側ここの本丸が一番高く、北に切岸で段々の曲輪が並びます。
城跡の北へ行くと鉄塔があり、手前東側に登山道が有りましたが、土砂崩れで途中3m位流されていて危険です…城跡登るのに慣れた人でないとお薦めできないと思いました。
美濃国長森城主土岐氏の末、宇津氏の築城。
天正7年(1579)織田信長の部将明智光秀によって攻められ落城、宇津氏は滅亡したという。
雨上がりの直登でズルズル滑りながら苦労して登りましたが、素晴らしい遺構に感激しました!
名前 |
宇津城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
明智光秀 天正7年7月 落城。