初詣には必ず夫婦で、お詣りしています。
涌出宮(和伎坐天乃夫支売神社) / / .
夕方、5時過ぎ、雷鳴が響く雨の中の参拝です。
駅前に鎮座する神社ですが、森に囲まれていますので、やぶ蚊の餌食です。
戦火で何度も焼け落ち、何度も再建された本殿である。
銅板葺の流造。
大型だが隠されていないのが嬉しい。
幣殿と屋根で繋がっている。
社蔵の「堂社氏子僧遷宮記」よれば、現本殿は元禄5年(1692)の造営で、「三間社流れ造り」で屋根には「千木・勝男木」置くとある。
それ以前には中世の戦火で度々焼失し、源頼朝や、後小松朝、後柏原朝の御世にも再建された。
昭和50年には本殿の屋根が檜皮葺から銅板葺き変わり、現在の形になった。
国宝の銅造釈迦如来坐像を蔵する蟹満寺の最寄駅である棚倉駅の駅前にあって、他の名所まで足を延ばすには遅く、列車の到着までには持て余すほどの時間があったので立ち寄りました。
神職は不在ながらもみすぼらしくない程度には手入れされています。
ただ、わざわざ見に行くほどの見どころはありません。
一の鳥居をくぐって参拝して、二〇分ほどで一の鳥居まで戻ってこれるので、このあたりまで来るついでがあればどうぞ。
ただ、本数の少ない電車を一本やりすごしてまで参拝する価値はないように思います。
朝早く伺った事と、少し前夜雨が降った事もあって、入口の鳥居から少し冷たい森の香りが漂ってきました。
静謐に包まれた鎮守の森の道を進と見事な朱色に塗られた鳥居が出迎えてくれます。
その先に構える門は質素であり現世と俗世をしっかりと分けているかのような感じがします。
門をくぐり抜けて右手に少し回ると本殿があります。
非常に質素ですが地域の信仰はあついようで手入れは比較的しっかりとされています。
とても歴史は古く平安時代から建立されていたようです。
名称からも想像がつくかも知れませんが雨乞いが行われていたそうです。
この森を歩くと何か神秘的な物を感じます。
古代人もそう感じたのか、弥生時代の集落跡地に、この社殿は建っているそうです。
周囲に個人的な駐車場が有るようですが電車で向かうのがベストです。
蟹満寺に駐車して歩くのも良いかも知れません。
二度目の参拝神社、前回は暑い日に来ましたが寒いときでも雰囲気良し!祠に行くまでの参道が凄くいい!狛犬さんもいい!
2月15日の夜7時頃からのいごろ祭り見に来てください。
涌き出の宮様。
和伎座天乃夫岐賣命神社。
天平神護2年(766)伊勢五十鈴川畔から天照大神の御魂を勧請したと伝わる。
またその時、一夜にして森が涌き出たことから「涌出宮」と呼ばれる。
今も社殿の背後には禁足地と思われる森が残る。
旧正月に因むかと思われる居籠祭、女性だけで行われる、子孫繁栄と豊作を祈願する女座の祭等、古代稲作儀礼に由来してそうな形態の祭が伝わる。
神門をくぐると境内は広く、灯籠も立派。
御神職は別の場所にお住まいのようで、電話番号を記した張り紙がある。
和伎座天乃夫岐賣命神社。
天平神護2年(766)伊勢五十鈴川畔から天照大神の御魂を勧請したと伝わる。
またその時、一夜にして森が涌き出たことから「涌出宮」と呼ばれる。
今も社殿の背後には禁足地と思われる森が残る。
旧正月に因むかと思われる居籠祭、女性だけで行われる、子孫繁栄と豊作を祈願する女座の祭等、古代稲作儀礼に由来してそうな形態の祭が伝わる。
神門をくぐると境内は広く、灯籠も立派。
御神職は別の場所にお住まいのようで、電話番号を記した張り紙がある。
初詣には必ず夫婦で、お詣りしています。
宮座行事と共に国の重要無形文化財に指定されていると知りびっくり👀‼️天照大神の御魂のもとに、森が涌き出る様に広がっているさまが神社の名のいわれと知り、一の鳥居、二の鳥居といつもの初詣が感慨深くなりました❗️
奈良時代の創建と伝えられていますが、現在の本殿は江戸時代に建てられたものです。
鳥居をくぐると、参道が続き、左に曲がった先に拝殿があり、その奥に本殿があります。
木々に囲まれて落ち着いた雰囲気の神社でした。
崇神十年、孝元天皇皇子の武埴安彦命(タケハニヤスヒコ)(崇神天皇の叔父)が反乱。
敗れた武埴安彦命が祝園神社で首を斬られたときに、首が木津川対岸の湧出宮まで飛んだとのこと。
木津川アート2016の会場の一つ。
式内社 山城国・相楽郡 和伎坐天乃夫支賣神社(わきにますあめのふきめ)主祭神:天乃夫伎売命 (天照大神の御魂とされる) 創建は天平神護二年(766)、伊勢国渡会郡五十鈴川舟ヶ原より、天乃夫岐売神(あめのふきめのかみ)を勧請し、宗像三女神:田凝姫命、市杵姫命、端津姫命を併祀したのが起源とされている。
2月第3土・日曜日に行われる居籠祭(いごもりさい、斎籠祭、齋居祭)は、豊作を祈る伝統的予祝行事と国の重要無形民俗文化財に指定されているが、第10代崇神天皇に謀反を起こした武埴安彦命に基づくと言う説もある。
武埴安彦軍と大彦命と彦国葺命(ひこくにふくのみこと:和珥臣の遠祖)が輪韓河(わからがわ:木津川)を挟み戦い、武埴安彦命箱の辺りで首を切られたという。
その後、村で悪疫が大流行したため、武埴安彦命の霊や数多の戦死兵を悼み弔った神事が「居籠祭」という。
名前 |
涌出宮(和伎坐天乃夫支売神社) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0774-86-2639 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,28747,36,421,html |
評価 |
3.8 |
わきにます・あめの・ふきめ神社と読みます。
通常は沸出宮(わきでのみや)祝園神社とこちらでは奇祭として名高い、居籠祭(いごもりまつり)が1月に執り行われます。
雨を司る農耕の神様とのことですが、伊勢の渡会(わたらい)という処のアメノフキメ神社を勧請したことろ、一夜にして森が湧き出たのが湧出宮の名の由来となったそうです。
ただ、宗像三女神もお祀りしていることから、やはり水が湧き出たという解釈の方がマッチする気がします。
ご本殿へ向かう参道は何故が途中で90°曲がっています。
同じく居籠祭を実施する祝園神社同様、武埴安彦命の御霊社的な性格もあるのかもしれません。