物集女城址の説明板がありました。
物心つく前の幼い頃、この辺りに住んでいました。
物集女という地名は、羅城門の時代、洛外のこの辺りには物を拾って集める女がいた…といった言い伝えによるのかと勝手に思い込んでいましたが、物集女氏という人がいて城まであったとは。
中世前期のこの辺り、桂川より西の久世、桂、物集女には何もなかった訳ではなく、そこここに人々の暮らしの痕跡が残っていることにロマンを感じます。
許可を得て城域を踏査した。
土塁を伴う水壕が現存しているのはとても珍しい。
土塁は、幅7~12m、高さ1.0~1.5mの規模で、北東隅の一部と東辺45m分が残っている。
濠は、幅5~10mを測り、深さ1m以上あり、現在も水を貯えている部分は、昔から地域の人々の用水池として利用されてきた。
こうした遺構から、城は東西100m、南北75mの規模を有していたことがわかる。
この大きなムクの木のある所は少し高くなっており櫓跡と推定できる。
敷地内は中央で二段に分かれており、西側が城主の居館のあった主郭、東側が配下の者達の住居等のあった副郭にあたると思われる。
ヘエ~ 物集女にこんなとこあったとは知らんかった(^_^;)今度近く言ったら、寄ってみよっと❗色々歴史が、分かってきたらもっと細かいこと知りたくなってくるなあ🎵私はあまり歴史に興味なかったけど「レキシ 」の歌聞いて、そうなんやと 今更ながら驚いています!Σ( ̄□ ̄;)勉強になるよ❗
史跡に過度の期待を持ってはいけない。
「物集女城跡」の字体と音の響きがそれでも何かありそうと思わせてしまう。
来てみるとあるのはこの説明板と畑と竹林と雑木だけ。
濠や土塁の跡があるらしいが外からは窺うことが出来ない。
向日市歩くガイドマップのコース順路に入っているが、向日神社や長岡宮跡に時間を割いた方が良いと思う。
物集女周辺は水路や街路など地図で見ると興味深いが、現地に行くと、あまり遺構が残されていない。
この城跡も含め、保存と遺跡整備が進められることを期待する。
城跡には立ち入ることができず、西側の柵の外から見る限り、これといったものは認められない。
東の物集女街道側には堀が残っている。
物集女城址の説明板がありました。
名前 |
物集女城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
面白い地名って話ししました。
2023年。