その勢力は800名だったという。
明治維新 伏見の戦跡 / / .
鳥羽伏見の戦いで、新政府軍は御香宮を本陣にして伏見街道を封鎖、その勢力は800名だったという。
ここから程ない距離にある伏見奉行所に陣取った会津藩と新選組を始めとする旧幕府軍を包囲し、大砲で攻撃するなどしたらしい。
旧幕府軍は奮戦むなしく敗北、中書島から淀方面に配送していくことになる。
鳥羽伏見の戦い開戦の地、薩摩藩が布陣しここから伏見奉行所へ砲撃をしたみたいです、伏見奉行所まで目と鼻の先で御香宮の側が高台にある為、戦略的に優位性がうかがえる。
昭和43年(1968年)明治百年を記念して奉納された。
時の内閣総理大臣・佐藤栄作の書による。
大政奉還の後、戊辰(ぼしん)戦争の発端となった鳥羽伏見戦の跡を示すもの。
薩摩の陣地があった。
名前 |
明治維新 伏見の戦跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
令和二年 7月23日 京都初夏の旅御香宮神社 明治維新伏見の戦跡1868年、鳥羽・伏見にて旧幕府軍VS 朝廷軍による『鳥羽・伏見の戦い』が勃発しました。
この『明治維新 伏見の戦跡』の建つ御香宮神社は朝廷軍である薩摩藩士たちの本陣となった場所でした(^^)