もうすでに日に焼けて見にくくなっている。
黒田長政下屋敷跡参考地 / / .
伏見城は広かったんですね。
ここは伏見桃山城の東に位置し直線にして500m程の地 六地蔵と墨染を結ぶ小高い山の頂上でそれなりに要衝の地であった事が読み取れます。
京都市の長政邸跡史料として書き記した案内板と石碑しかありません。
頂上のT字路です。
ご覧頂く上でこれぞと言う物が無く少し寂しいですがこちらの南西向いに立派な詳しい事は判りませんが、昔ながらの武家屋敷だったと推察される住まいがあります。
車坂(荷車が通った)の碑が立っていて拝見する事は出来ませんが、外観は昔の面影が見て取れます。
南方向を望めば宇治方向に向かう六地蔵が眼下に望めるので行き交う車両に気を付けて当時に思いを巡らせて見て下さい。
因みにこの辺りの西の大亀谷安信町は明治天皇陵の跡地の一部になります。
(旧名 大亀谷村)
伏見城武家地 黒田長政公下屋敷跡 参考地。
秀吉方から家康方に寝返り、関ヶ原の戦い等で数多くの戦功を上げた黒田長政公の屋敷跡と言われる地。
場所は墨染から大亀谷を経て六地蔵に抜ける峠の手前。
伏見城の北東になる。
案内板は比較的新しい。
道挟んで自宅ですが軽い案内盤があるだけの上に道幅が狭く交通量が多いため結構危険です。
名前 |
黒田長政下屋敷跡参考地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.9 |
もうすでに日に焼けて見にくくなっている。