伏見稲荷との直接的な関係はありません。
GW中に参拝。
海外旅行者2名しかいませんでした。
明治23年に伏見稲荷大社の摂社として創建され、明治36年には府社となり、伏見稲荷大社の経内にあるのに独立した全く関係ない神社となりました。
東丸神社(あずままろじんじゃ)は、学問向上、受験合格を願掛け神社ですが、あまりにも千羽鶴が多くてびっくりしました。
癌や、目など身体的向上、治癒の神社でもなかなかこの数の千羽鶴は見ないかもしれません。
京都には合格祈願や勉学向上の神社が数多くありますが、身内の就活の祈願のためにこちらの「就職達成御守」をいただくためにお詣りに行きました。
訪れたのは年末で、伏見稲荷には多くの方がいたのですが、その境内にあるこちらの神社には私たちしかいませんでした。
ただ、絵馬や千羽鶴がたくさん掛けてあって、たくさんの受験生、就活生がお詣りに来ているのは分りました。
社務所には常に人がいる訳では無いのか、はじめはお留守でした。
お詣りが終わったタイミングで人が出てきて、御守りをいただくことができました。
就活に成功したらお礼に訪れたいと思います。
2/16追記無事、第一志望への就職が決まりました!ありがとうございました。
なるべく早いうちにお礼参りに伺う予定です。
息子、甥、姪三人共に第一志望の国立医学部に合格させて頂きました。
御朱印は在庫がないと言われていただけませんでした。
祭神荷田東丸(春満)大人(本名 羽倉信盛)は寛文9年(1669年)正月3日、この地に誕生され、幼少期のこ頃から花道、書道に秀え、長じては国史、律令、古文古歌さらに諸家の記伝に至るまで独学で博く通じ殊に内容の乏しい形式的な堂上歌道を打破して、自由な本来の姿に立ち返るよう努められました。
元禄10年妙法院宮に歌道の師として進講されましたが、当時幕府が朱子学を政治の指導理念の中心に据えていた為学問を志す者が極端に漢字を尊ぶ状況をみて日本固有の文化が滅びてしまうという危機感を感じ日本書紀、万葉集など古典研究を通じ日本固有の文化や精神を明らかにしました。
享保8年古学普及の為に倭学校を創建されようとしましたが病に倒れ元文元年7月2日、68歳をもってその生涯を終えられました。
東丸大人は臨終に際して研究が未完のものは全て燃やすよう命じましたが、今なお神紙道、日本史、律令、格式、歌学および語釈に関する貴重な遺著ならびに遺墨が多く残っています。
このような東丸大人の学徳を偲ぶ有志の人々が相寄って、荷田旧邸の一部であるこの地に社殿を創建し、以来、「学徳守護」の神様として広く崇敬されることになりました。
祭神荷田東丸(春満)大人(本名 羽倉信盛)は寛文9年(1669年)正月3日、この地に誕生され、幼少期のこ頃から花道、書道に秀え、長じては国史、律令、古文古歌さらに諸家の記伝に至るまで独学で博く通じ殊に内容の乏しい形式的な堂上歌道を打破して、自由な本来の姿に立ち返るよう努められました。
元禄10年妙法院宮に歌道の師として進講されましたが、当時幕府が朱子学を政治の指導理念の中心に据えていた為学問を志す者が極端に漢字を尊ぶ状況をみて日本固有の文化が滅びてしまうという危機感を感じ日本書紀、万葉集など古典研究を通じ日本固有の文化や精神を明らかにしました。
享保8年古学普及の為に倭学校を創建されようとしましたが病に倒れ元文元年7月2日、68歳をもってその生涯を終えられました。
東丸大人は臨終に際して研究が未完のものは全て燃やすよう命じましたが、今なお神紙道、日本史、律令、格式、歌学および語釈に関する貴重な遺著ならびに遺墨が多く残っています。
このような東丸大人の学徳を偲ぶ有志の人々が相寄って、荷田旧邸の一部であるこの地に社殿を創建し、以来、「学徳守護」の神様として広く崇敬されることになりました。
21年2月19日に訪れました。
『東丸神社』は「伏見稲荷大社」の境内にありますが、隣接した、独立した神社です。
江戸時代中期の国学者・歌人の荷田春満(東丸)を祀っています。
荷田春満は「伏見稲荷大社」の社家の生まれですが、神職にはつかず、日本書紀や万葉集など古典の研究をしていました。
国学の四大人の一人とされ、春満の学徳を偲ぶ有志が集まり、荷田旧邸の一部であるこの地に社殿を創建しました。
学徳守護の神様として、勉学向上、受験合格のご利益があるといわれています。
20年1月14日に訪れた時はカラフルな千羽鶴がたくさん奉納されていましたが、今回はコロナ禍で数は少なくさみしい感じがしました。
御朱印をいただきました。
『あずままろじんじゃ』と読む。
江戸期の国学者・荷田春満(1669-1736)を祭神として伏見稲荷大社の境内に鎮座するが、隣接した独立の神社である。
伏見稲荷大社の社家の次男として生まれたものの、神職にはならず、古典研究に没頭し、大石内蔵助とも親交があり、赤穂義士を支援していたと伝わる荷田春満の旧宅の一部に、1883年、正四位の位を贈られたのを機に、稲荷大社宮司らが学徳を称えるための神社創建への動きが起こり、社殿が創建され、以後、学問成就、受験合格の神として信仰されている。
なお、1919年には従三位の位が追贈された。
隣接する伏見稲荷大社の喧騒ぶりとは無縁な、清浄さがあり、静かななかでお祈りができるお宮さんだと思う。
学問に御利益がある神様をおまつりしている神社。
伏見稲荷大社の隣接地に鎮座していますが、大社とは無関係な神社でした。
境内は小規模ですが綺麗に整備清掃されていました。
御朱印は書き置き対応でした。
(19/11/01)御朱印(書置きのみ)をいただきました。
御祭神荷田東丸命(かだのあずままろのみこと):荷田春満荷田春満:江戸時代の国学者、国学の四大人のひとり。
伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)の社家。
学問向上、受験合格の神様。
東丸(あずままろ)神社です。
江戸時代の国学者、荷田春満(かだあずままろ)を祭っています。
春満は稲荷神社の社家の生まれです。
『日本書紀』や『古事記』『万葉集』など、神道や古代歌謡を研究し、後に賀茂真淵(かものまぶち)や本居宣長(もとおりのりなが)と並び称される国学者となりました。
そのためか、現在では受験生が熱心にお参りしているようです。
境内には勉学向上・合格祈願の絵馬や千羽鶴がぎっしり並んでいます。
受験前には特に賑わうようなので、ご祈願を希望される方は、早めに予約しておくことをおすすめします。
伏見稲荷には何度もお参りしているが、こんな神社があったなんて驚きだ。
学問にご利益がある模様です。
学業系の神様みたいです✨しっかり拝んで来ましたヽ(・∀・)ノ。
たくさんの千羽鶴、絵馬きれいです。
(19/11/01)御朱印(書置きのみ)をいただきました。
御祭神 荷田東丸命(かだのあずままろのみこと):荷田春満荷田春満:江戸時代の国学者、国学の四大人のひとり。
伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)の社家。
学問向上、受験合格の神様。
お稲荷さんの境内にあります。
学問の神様をお祀りしています。
東丸神社(あずままろじんじゃ)境内にあるが独立した神社で楼門をくぐって右側、外拝殿の南に位置。
伏見稲荷大社の社家出身で国学の四大人として知られる江戸中期の国学者・荷田春満(かだのあずままろ)を祀り学業成就にご利益があります。
伏見稲荷様と同じ敷地にございます。
たくさんの折り鶴が印象的です。
伏見稲荷大社のなかにある神社。
江戸時代の国学者、荷田春満(かだのあずままろ)を祀る。
1883年(明治16)春満に正四位が贈られたのを記念して社殿を造営、創祀された。
1936年(昭和11年)に現本殿に改造営される。
以来「学問向上、受験合格」の神として広く崇敬される。
小さな神社。
AZUMAMARO shrine is the shrine where a Japanese classical scholar in the Edo Period deifies Kadano Azumamaro.Fushimi-inari shrine and a AZUMAMARO shrine are a different shrine.Most's picture which appears here is Fushimi-inari shrine.AZUMAMARO shrine is a god of schoolwork.東丸神社(あずままろ)は江戸時代中期の国学者 荷田春満(かだのあずままろ)を祀った神社で、もともと荷田春満の旧宅のあった場所であり、伏見稲荷との直接的な関係はありません。
一見、伏見稲荷の敷地内にみえるのでGoogleマップでもここ東丸神社の写真として投稿されているもののほとんどは伏見稲荷の画像で誤りです。
学業成績向上の神として祀られています。
絵馬の奉納は、書き上げたものを自分で結ぶのではなく、神社にお願いして祀っていただきます。
そのため、整然と結ばれた絵馬と千羽鶴が並ぶ様は美しいです。
名前 |
東丸神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-641-4693 |
住所 |
36, 深草藪之内町 伏見区 京都市 京都府 612-0882 日本 |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ
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伏見稲荷大社の境内にあるので、摂社かと思いましたが、こちらで単独社です。
神楽殿の右横から玉砂利を越えればフラットアクセス。
学問の神様を参拝できます。
ちゃんと社務所もあり授与品もあります。
御朱印は書置きとのことで、拝受しませんでした。
こちらは人が少ないので、少しゆったりできます。
修学旅行生は受験のために参拝された方が良いのでは〜と思ったり!