とても静かで荘厳な雰囲気のお寺です。
宝塔寺の前身は藤原基経開基の真言宗極楽寺で、日蓮の遺命を受けて京での布教に邁進する日像によって寺ごと乗っ取られました。
堂塔の配置と様式が日蓮宗寺院らしくないのはそのためです。
時を選ばず、相手を選ばずに喧嘩を売り歩く日蓮宗に対する他宗派の反発は募るばかりとなり、後に「天文法難」あるいは「天文法華の乱」として爆発します。
京都の日蓮宗寺院はことごとく焼き討ちにあい、宝塔寺も多宝塔をのぞき全山焼失します。
京都の日蓮宗寺院に国宝の堂塔はなく、国重文もそうそうないのはその結果でもありますが、中世からの多宝塔の他に、近世に再建された総門と本堂が国重文に指定されている宝塔寺は稀有な例外と言えます。
ただ、お寺さんの側には観光地化するするつもりはさらさらないようで、参拝料はなし、宣伝もなし、伏見稲荷大社から歩いて一五分という好立地にありながら、墓参の檀家さん、散歩のご近所さんはいても、観光客はほとんどいません。
もっとも、勝手に来て勝手に拝観する分には何の不自由もありませんし、十分な見ごたえです。
あと、藤原基経って誰やねんと思った方はWikipediaか、灰原薬さんの漫画「応天の門」をご覧ください。
前者は教科書的な意味で正しく、後者は物語として楽しめます(主人公は若き菅原道真と在原業平で、基経は敵役…とも言い切れない複雑な人物として描かれています)。
今日は、千仏堂鬼子母神をたずねて宝塔寺境内を通り来ました。
観光寺院では有りませんが文化財も多くあり境内への立ち入りも可能です。
近年観光客でごった返す稲荷大社の隣とは思えない風情があり訪れる人も少ないので時代劇の撮影場所だったりする所です。
平安時代中期に藤原基経の発願で時平が創建した真言宗「極楽寺」に始まり、鎌倉後期に日像の布教を機に日蓮宗へ改宗しています。
永平寺を開いた道元禅師(曹洞宗開祖)が京都の深草に開創した興聖寺は当寺院境内にあったのでは?との説もあります。
(境内の安養院に住んでいました)重要文化財:本堂、多宝塔、総門西方浄土、夕暮れ時がオススメです。
山号を深草山、ご本尊を三宝尊とする日蓮宗のお寺。
850年頃、日本史上初めて関白となった藤原基経の発願で創建され、899年に聖宝が開山した真言宗の極楽寺が前身。
鎌倉末期、京で日蓮宗を布教していた日像と法論した当時の住持・良桂が1307年に日像に帰依することになり、1310年頃、日蓮宗へ改宗した。
1342年、妙顕寺で入寂した日像の遺言で、当寺にて荼毘に付され、葬られた。
かつて日像が京の七口に建てた題目石塔のひとつを日像廟に祀ったことで宝塔寺と名乗るようになったとされている。
その後、応仁の乱(1467年)や天文法華の乱(1537年)で多宝塔を残して全焼し、ようやく1590年になって伽藍が再建されている。
23/01/20、京都医療センターに通院した後、深草を巡った際、宝塔寺をお詣りした。
1608年再建の本堂や1439年以前の京都で一番古い多宝塔、室町期に建立された総門などの重要文化財、1666年に七面天女を勧進して建てられた七面堂、伏見人形発祥の地といわれる千仏堂など見て回るものが多かった。
京阪電車龍谷大深草駅から徒歩10分、稲荷駅からは13分程。
伏見稲荷の隣にひっそりと立つ日蓮宗のお寺がある。
本尊に三宝尊、延慶年間(1306~)に創建とあり、源氏物語の舞台にもなっている。
目的は京都市内最古の多宝塔(重要文化財)の拝観です。
重文の総門の四脚門を潜ると長い石畳の参道が、仁王門迄伸びています。
先ずは大きな本堂(重文)でお詣り、右手に多宝塔が見えます。
応仁の乱で伽藍を焼失するも、室町時代の1438年建立の墨書き、高さ11'4mの小ぶりも軒のラインに特徴、非常に優美な塔である。
上の屋根の下には沢山の柱の様なもの、行基葺と言われる特異な屋根形式も印象に残る。
折角だからと七面天女を祀る一番奥の七面堂迄足を伸ばします。
結構、階段が続くので、時間に余裕のある方のみですね。
帰り道、塔頭の一つに書いてある言葉や、町内の標識、極楽寺町に成る程、源氏物語からの歴史を脈々と受け継いでいる町を感じましたよ!
京都紅葉の旅 令和元年11月30日深草山宝塔寺 日蓮宗伏見稲荷大社の喧騒からものの10分くらいでこの静かな宝塔寺に到着します♩この紅葉時期に🍁は、珍しい穴場的スポットです(^-^)誰も居ませんでしたから❗️笑仁王門前の、紅葉が綺麗でした♩日蓮宗 妙顕寺派の寺院です。
山号を深草山(じんぞうざん) 院号を鶴林院(かくりんいん)です❗️寺内も綺麗に清掃がされていました♩
宝塔寺、七面堂へ向かう参道に三十番神がお祀りされています。
七面堂には七面天女がお祀りされています。
七面天女は法華経を守護する神様で、弁財天、龍王、龍女等と言われています。
とても静かで荘厳な雰囲気のお寺です。
駅からは少し長い石段を登る必要があります。
お寺の駐車場は5台程しかありませんのでご注意を!
日曜日に参拝したのですが、境内から読経が聞こえました。
ありがたく手を合わせ、拝聴しました。
他にも参拝客が多く、どうやら、法要だったみたいです。
別のお坊さんがいたのですが、やさしくご挨拶をしてくださいました。
京都に住んで42年。
前の道は良く通りますが、初めてお参りしました❗大きな山門があるんですね🎵
20/3/1 参拝。
日蓮宗妙見寺派 宝塔寺(ほうとうじ)。
伏見稲荷の南に位置し、前身の極楽寺は源氏物語にも登場する古刹です。
立派な山門や本堂、多宝塔まであり見所も多いです。
この日は雨、いつも雨。
何故日曜は雨なんでしょうね。
そういう中、この日の午前中は伏見稲荷周辺を散策、その初めの参拝場所として訪れました。
長ったらしい駅名に変わった深草駅から少し登りの道を歩いて約15分、住宅街の中に入り口となる総門(四脚門)がありました。
そこをくぐると両脇に何件か同門宗派?のお寺が数軒並んでいます。
どちらも一般には公開されていない檀家寺さんのようです。
暫く行くと朱塗りの美しい仁王門があります。
同じく全身朱色の仁王様が出迎えてくれます。
私はここで一礼して境内へ。
正面に本堂、左に鐘楼、左奥に高麗門と鼓楼、長廊下、右に枯れた手水舎、奥に多宝塔が見えます。
本堂は中には入れませんが上がって戸の窓から御本尊を見る事は出来ました。
多宝塔周辺は墓地です。
MAPで見ると墓地は広大ですね。
雨とコロナの影響か、参拝する人は私だけでした。
他に訪れて来る人は御墓参りの方ばかり。
なので静かに手を合わせ後にしました。
駐車場は特になく、皆さん境内の本堂前に停めておられました。
10台くらいは大丈夫かと。
御朱印は鐘楼奥のご自宅?で書き置きのみですが頂けます。
山号を深草山、寺号を宝塔寺、日蓮宗のお寺になります平安時代に藤原基経の発願により創建され源氏物語にも言及される極楽寺が前身だそうです重要文化財である寶塔寺塔婆、四脚門はとても美しい禁門の変ではこの寺に駐屯していた大垣藩中島隊が、伏見長州藩邸から出陣し京都御所に向かって伏見街道を北上する総大将福原元僴率いる長州藩主力軍を鳥羽街道で撃破、長州藩邸へ撤退させる大金星をあげている。
宝塔寺の名前のとおり、重要文化財の多宝塔があります。
いつも綺麗にされています。
おっさんも、いつも穏やかな方で優しいですお手洗いはお寺さんのところにあるので安心です。
お彼岸等は駐車場がいっぱいにあるので早朝に行くのがベストです。
室町時代に建てられた多宝塔は京都市内最古。
江戸初期に再建された本堂も日蓮宗としては最古など、由緒のあるお寺。
観光客はほとんどいないので、ゆっくりと参拝することができます。
石段の上に楼門形式の仁王門がそびえ、その奥には室町時代の建築の重要文化財の本堂と多宝塔があり、ちょっとした観光寺院にも劣らない風格があります。
それに、大賑わいの伏見稲荷からも近く、京阪深草駅からも徒歩圏内なのに、全く人気がありません。
不思議なことです。
宝塔寺の前身は藤原基経が建立した極楽寺とされています。
極楽寺は源氏物語にも出てきますし、当時の文献では東寺、西寺、延暦寺などと並び称されるような大寺として扱われています。
今も宝塔寺の門前に深草極楽寺町という地名がありますが、京都市遺跡地図を見ると平安時代の極楽寺はこの極楽寺町の北側の大門町から野手町あたりにかけて存在したと推定されているようです。
藤原基経が発願した極楽寺が宝塔寺の前身とされている。
極楽寺は基経の没後、嫡子の藤原時平により899年(昌泰2年)建立されたもので、『源氏物語』「藤裏葉」帖に寺名が言及されている。
鎌倉時代末期、京都で布教にあたっていた日像は当時の極楽寺の住持・良桂と法論を行った。
良桂は日像に帰依し、真言律宗寺院であった極楽寺は延慶年間(1308 - 1311年)日蓮宗に改宗した。
興国3年/康永元年(1342年)日像は妙顕寺で入寂、遺言により当寺において荼毘に付された。
寺は1467年(応仁元年)応仁の乱で焼失後、長らく再建されなかったが、1590年(天正18年)8世日銀が伽藍を再建した。
深草山と号する日蓮宗の寺院。
寺伝によれば藤原基経が発願し899年に藤原時平が大成した極楽寺に始まるといわれる。
当初は真言宗であったが、1307年住持の良桂が日蓮の法孫日像に帰依して日蓮宗に改めた。
日像が京都に通じる七つの街道の入り口に建てた法華題目の石塔婆の一つが日像廟所に奉祀されたことにちなみ寺名を宝塔寺と改称した。
とある。
京都観光の喧騒からは逃れた静かな寺です。
日蓮宗寺院。
境内広く、綺麗なお寺さんです。
門前には、幾つかの塔頭があります。
伏見稲荷から、徒歩で10分程ですが、あの喧しいのから一変で、別世界の様です。
周辺の道路が狭いので、注意しましょう。
千葉出身で、京都の布教に苦労した、日像上人の荼毘場所もこちらの境内にあります。
御首題も、気持ち良く対応して下さいました。
感謝です。
深草山と号する日蓮宗の寺院。
寺伝によれば藤原基経が発願し899年に藤原時平が大成した極楽寺に始まるといわれる。
当初は真言宗であったが、1307年住持の良桂が日蓮の法孫日像に帰依して日蓮宗に改めた。
日像が京都に通じる七つの街道の入り口に建てた法華題目の石塔婆の一つが日像廟所に奉祀されたことにちなみ寺名を宝塔寺と改称した。
とある。
京都観光の喧騒からは逃れた静かな寺です。
ご先祖様の墓所。
非常に静かなところです。
2014年京都非公開文化財特別拝観で拝観しました。
本堂、多宝塔、総門が重要文化財に指定されているそうです。
御先祖様が眠るお寺です小さい時はご近所だったので毎月お墓参りに行ってました今は入る事出来ませんが 本堂の裏とかで雨の日遊んでました〜懐かしいです。
伏見稲荷大社から徒歩10分くらいのところにあり伏見稲荷大社の人の賑わいがウソのように静かなとても心和むお寺でした。
是非に伏見稲荷大社に来たら立ち寄ってもらいたい場所です。
御朱印頂く場所がわからず今回はスケジュールの都合上御朱印頂かず帰りました。
山門入って左側の方で頂けるみたいなんで次回は必ず御朱印頂きたいと思います。
名前 |
宝塔寺 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-641-1859 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
京都旅行の穴場的な場所ですが過度な期待はしないでください。