芳しい墨と白梅の香りが立ち込めてきた時の心情を詠っ...
今は跡形もない渤海ですが当時の日本は渤海と友好関係にあり渤海使節をここで歓待し音楽などでもてなしたようです丹波口駅から歩いて島原界隈散策に来たのでここから角屋、大門へと続きます。
角屋の塀に沿って北向きに行った所に碑があるのみです。
此処に島原七つの文芸碑めぐりの七番目の碑があります。
島原にはかつて多くの揚屋があったここは史跡でしか残っていない。
平安京の鴻臚館。
おもに渤海使を迎賓していた。
「北路」にて来訪した渤海使は能登客院(石川県羽咋郡志賀町)や松原客院(福井県敦賀市)を経由して都に上る。
都の鴻臚館で入朝の儀を行ったのち、内蔵寮と交易し、次に都の者と、その次に都外の者と交易をした。
しかし渤海王大仁秀治世に日本との関係に変化が生じて交易が減退。
東鴻臚館は承和6年(839年)に典薬寮所管の御薬園へと改められた。
さらに渤海国が遼によって滅亡(926年)したのち施設は衰え、鎌倉時代の頃に消失した。
一説には延喜20年(920年)の頃に廃止されたともされる。
源氏物語桐壺の巻にここに滞在する人相見を訪れる光源氏の様子が描かれている。
名前 |
東鴻臚館址 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si019.html |
評価 |
4.4 |
春の日に鴻臚館の辺りを歩いていると、芳しい墨と白梅の香りが立ち込めてきた時の心情を詠った与謝蕪村の句が添えられています。