平日に訪問したが、何も見るものは無し。
平日に訪問したが、何も見るものは無し。
しかし、眺めは良かった。
泉涌寺の参道から少し奥に入った静かな所にあります。
境内からの京都の展望が素晴らしいです。
門前に駐車場あり。
悲田院は真言宗泉涌寺派の総本山である泉涌寺の塔頭。
悲田院とは本来、仏教の慈悲の教えに基づいて、身寄りのないお年寄りや子供たちを救済するための福祉施設で、聖徳太子が大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが最初といいます。
実際は聖武天皇の光明皇后が興福寺に四箇院のうちの施薬院(病院・薬局)と悲田院を建てたのが記録上は最古のもの。
平安時代になって平安京にも作られたのですが、時を経て消滅してしまった。
延慶元年(1308)に無人和尚が一条安居院に寺として再興し、その後正保三年(1646)に現在地に移転しています。
春と秋に京都市内の寺社の特別公開があるのですが、そのときに参拝。
特別公開時期に限っては快慶の作である宝冠阿弥陀如来坐像や、印を結ぶ手が逆になっている逆手阿弥陀立像を見ることができます。
こちらからの眺めは最高です。
知る人ぞ知る名所といえます。
泉涌寺塔頭、七福神の毘沙門天を祀る。
★通常拝観は行なっていないが、境内は散策可能、京都市街が一望できる!
特別公開で行ってきました。
京都市が一望出きるのは素晴らしいです。
ただ、お庭の水琴窟いまいちでした。
教科書で見かけたお寺だったので訪問しました。
貧しい人や孤児を支援するための施設だっと言うことです。
丘の上にあるので眺望はやはりいいです。
泉涌寺のそばなので一緒に回るといいと思いました。
京都を一望できる眺めは素晴らしい思います。
駅からもそお遠くないので、東福寺や泉涌寺に来る際には一度訪れると良いでしょう。
七福神巡りの毘沙門天が祭られています。
泉涌寺の塔頭で泉山七福神の毘沙門天ですが、御朱印のコンプを目指すのでなければなければスルーを推奨します。
見どころナッシングなうえ寺務所は塩対応です。
堂宇は凡庸で仏像は拝観できません。
寺務所の窓にはめられた目隠し用の白い板は精神病院を連想させます。
せめてカーテンにしろよという気がします。
荒れてはいませんがいろいろともう駄目です。
御朱印をお願いすると有無を言わせず泉山七福神のものが授与されます。
御本尊の立場がありません。
そのうえ相も変わらずの悪筆です。
悪筆については私も人のことは言えませんが、丁寧さを感じられないのは残念です。
今回で三回目の参拝となりましたが、悪筆はそのままで参拝者との隔たりは広がるばかりです。
正直なところもういいかなという気がするので、評価は☆一つです。
私が訪れた時は誰もおらず非常に静かな場所で心が落ち着きました。
見晴らしが良く京都の街が一望出来ます。
京都市が一望出来て春夏秋冬楽しめます。
他にも近くに色んなお寺もあり散策も楽しめます。
泉山七福神巡り にて眺望が素晴らしい。
(18/03/15)「阿弥陀如来」泉山七福神巡り「毘沙門天」2種類の御朱印をいただきました。
(18/03/04)参拝しました。
ご不在のようでしたので御朱印はいただけませんでした。
真言宗泉涌寺派の寺院。
泉涌寺の塔頭です。
本尊:阿弥陀如来ここは見晴らしが良いです。
JR奈良線:東福寺駅より950km。
市営バス:泉涌寺道バス停より550m。
駐車スペースがあります。
市内一望できます。
将軍塚より風景が身近に見えます。
ここでお茶を習っている方から教えてもらいました。
ここも建屋には入れませんでした。
庭も...うーん。
ま、福祉施設であればしょうがないですかね。
2016/5/1拝受 泉涌寺塔頭。
1400年もまえ聖徳太子が京の河原に孤児や病人を救うための福祉所として設立されたのが始まりです。
江戸時代の初期の泉山の当地に移建されました。
泉山を登る車道からそれたところに徒歩で向かう参道がありますが、この石段が結構たいへん汗汗でとても良い思い出になりました。
御朱印は御本尊は阿弥陀如来さま と京都七福神第6番毘沙門天の御朱印。
2種頂きました、有難う御座いました!
優しい住職さんです。
(*^^*)
名前 |
悲田院 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-561-8781 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
御朱印は住職が忙しいようです。
インターホンを何回も鳴らしました。
諦めてはいけません。