かなり専門性の高い神社です。
最近たまたま通りかかって、ここを知りました。
この日は源平枝垂れ桃と紅枝垂れ桃がきれいに咲いており、目を奪われました。
そのまま引き込まれるように、奥へと進みこの空間から力をいただきました。
お隣の桜井公園と合わせてお互いがお互いの魅力を高めあっています。
こんないい空間・神社を今まで知らなかったのは、痛恨の極みです。
空気も何とも澄んでおり、とても綺麗な空間です。
今後何度も訪れるつもりをしています。
京都はやはり奥がとてつもなく深いと、またまた思い知らされました。
源義経の奥州への旅立ち(かどで)の場所街中にそこだけが静寂に包まれる佇まいが美しい。
石段を上がる本殿も神秘的。
八幡宮だけに、いたる所に鳩のモチーフが見受けられる。
この時期境内には、多くの花桃がみられる。
特に源平枝垂れ桃は、1本の木に紅白両方の花が咲く珍しい品種。
他にも様々な桃が、楽しめる。
源義経が奥州に経つ時、旅の安全を祈願した首途(かどで)八幡宮。
私も旅の安全を祈願しました。
首途と書いてかどでと読みます。
由来は源義経が牛若丸の名前のときに奥州藤原氏のもとへ行く際に、道中安全を祈願して出立。
首途は出発の意味で首途八幡宮の社名はここから名がついたとのことです。
それまでは内野八幡宮と呼ばれていたそうです。
境内は広いわけではないですが、以前より行きたかったところでとても良かった。
御朱印、お守りありますが初穂料は社殿の賽銭箱に入れるシステムです。
決して無人ではないのでしょうが、これは初体験です。
公園の横にある神社、本殿前の階段まで真っ直ぐに伸びた松の道は手入れが行き届いていて庭園のような管理された美しさがギュッと凝縮されている。
境内には本殿ともうひとつ小さな社に辨戝天が祀られている。
社名は元々は内野八幡宮という名前だったが、鞍馬山から降りて来た源義経公が奥州藤原氏の下へ旅立った(首途)ために首途八幡宮と呼ばれるようになった。
桃園親王の旧跡でもあるらしい。
珍しい鳩の手水舎でした。
源義経を奥州まで先導したという商人、金売り吉次の邸宅跡ともいわれています。
義経の奥州行きの安全祈願をしたとの伝承から、現在は旅行安全の神様として崇敬を集めています。
桃の花が満開です。
隣の公園では桜が満開です。
源義経と関係の深い八幡宮様です。
首途と書いてかどでとはまず、読めないですね。
小さな神社ですが、静かでいいところでした。
社務所のかたも親切でした。
首途という漢字で少し怖いイメージがありましたが、「かどで」と読むんですね。
鳥居のそばに由緒書きがあり、なるほど!と思いつつ参拝させていただきました。
伺った時は無人で御朱印は書き置きもものが置いてありました。
初穂料はお賽銭箱に。
大きな道路沿いではありますが、隣りに公園もあり、落ち着いた感じでした。
源義経の奥州出発の地であり、旅行安全の神社として人気がありますよ‼️大内裏の北東に位置するため王城鎮護の神とされ、もとの名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)」といiいます。
宇佐八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)・比咩大神(ひめおおかみ)・息長帯姫命(おきながたらしひめ)(神宮皇后)をお祀おりしています。
八幡宮の創建は不詳ですが、また、現在の社のある場所には、平安時代の奥州の商人であった金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があり、その屋敷跡に社が建てられたと伝えられています。
社は御所の東北(鬼門)に位置することから、天皇の住まいを護る社として重んじられていたそうです。
桃園親王がこの地に邸宅を築き、邸宅内に桃の木を植え春には桃花祭を行うなど、天皇家からも厚く信仰された社でした。
源平合戦での源氏軍敗北により鞍馬寺に預けられていた義経は、鞍馬山で修行生活を送っていました。
しかし承安4(1174)年3月3日未明、平氏軍からの難を逃れるために鞍馬山を抜け出し、金売吉次の手引きで源氏復興を目指して奥州藤原秀衡の元へ旅立つこととなります。
出発にあたり、当時、吉次の屋敷近くにあった八幡宮へ立ち寄り道中の安全を祈願したといわれたことから「首途八幡宮」と呼ばれるようになり、旅の安全を祈願する人たちが参拝に訪れるようになったのです。
西陣の町中、小学校の向かいにあります八幡さんです。
源平合戦の一幕に出てくるお宮さんは、お社が小さな丘の上にあって、かつてはここから京の街が眺められたのかもしれません。
辺りは京都有数の昔からの住宅地なので、歴史的風情が強い場所ではないのですが、老舗も多く、天神さんから晴明さんのお屋敷あとの神社などを巡ることもできますお散歩好適地なので、ぶらりと京都観光の際にどうぞ。
そんなにメジャーではない気がするんですが旅の門出を祈祷する、かなり専門性の高い神社です。
京都検定のために勉強してたらここを知って、旅好きのオイラとしてはここ参っとかんと!と思って立ち寄りました。
首途八幡宮 / Kadode Hachimagu Shrinet源義経が、奥州に行くときに、祈願した神社。
こじんまりとした感じ。
旅行安全の神社として崇敬を集める。
宇佐神宮から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(神功皇后)を祭神としている。
承安4年(1174年)3月3日、源義経は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、鞍馬山から当社におもむき、道中の安全を祈願して出発したといわれている。
「首途」(かどで)とは「出発」を意味し、この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになったそう。
まぁ、その後の義経の歴史を更に辿ると、、少し不幸な気がするけど。
(奥州には無事ついているから良いか)
かどで八幡宮と読みます❗源 義経(牛若丸) が 奥州に旅立ちした地❗宇佐の御神霊を 勧請されたお社❗かどでとは、出発の意味で 旅行安全や交通安全などの 御利益があり。
大通りから 少し入った道沿いに あり…コンパクトな境内でした❗御朱印を 戴きに来ました🎵こちらは、拝殿 横に 書き置きがありましたよ❗自転車も、鳥居を入り スペースが あり止められました🎵
去年4月に初めて訪れた時 桃の花が素晴らしかったです 今回は近くに通ったので もう一度お礼参りで訪れました🌸
無事、娘も海外に渡航してくれました!
義経が東北へ旅立ちの場所。
誰も居なかったですご、歴史を思い出すと感慨深いです。
書き置きの御朱印が置いてあります。
「かどではちまんぐう」と読みます。
源義経(牛若丸時代)が鞍馬寺から奥州の平泉に旅立つ時こちらで道中祈願、勝利祈願をされたそうです。
現在、静かで癒しの時間が作れます。
🌿🍃また隣が公園🌼で伸び伸びも出来ます御朱印は書き置きですが頂けます。
桃の花と桜が満開の季節に行きました。
奥が深くて、なかなか良い神社です。
桃の花が、ピンクと白の花がひとつの木に咲いていて、とても不思議ですね。
隣の桜井公園は、また、桜が素晴らしく。
満開の季節に行くことをオススメします。
特に、こちらは、観光客も来ないし地元の人だけなので、落ち着いて桃や桜の花を観賞できます。
平安宮の北東(鬼門)に位置したことから、王城鎮護の神とされ、内野八幡宮とも呼ばれました。
「首途」は出発を意味します。
源義経がここで安全祈願をし、奥州へ旅立った地で、彼に付き添った金売吉次の屋敷跡とも言われています。
◇参照 京都歴史散策マップ。
首途(かどで)八幡宮は、古本市場のお店と 公園とに挟まれる様に 有ります。
かどで とは 出発の意味。
義経が京の都を 後にする際、大分県宇佐市の宇佐神宮から御神体を勧請された 内野(うらの)八幡宮に、道中安全祈願した事で、名をかどでに変えたらしいです。
とても小さな境内には、桃や桜など 珍しい物もあるようです!小山の上にお社が在り 社務所らしき所は 無人でしたが 書置きの御朱印やお守りが置いて有るので 代金は 賽銭箱に入れて下さい!と書いてありました。
子供の秘密基地みたいな所で 個人的に 大好きです!タクシー🚕を乗り付けて来ている 若いグループも見掛け、意外と参拝者が多かったですね。
とっても小さな神社ですが、手水の鳩がよかったです。
街中によくある小さなタイプと思わせて意外に奥に深くて立派な神社です🙆 高低差を味わうことになるとは想定外❗ 2017.5.28
歴史ロマンを、考える。
京を、追われ旅立ちの地、首途八幡宮は、金売り吉次の屋敷跡と知る。
気持ちが落ち着く不思議なスポットです.神主様が庭を掃き清めておられました.
2016/8/14拝受 かどではちまんぐう、と読む。
かどでは門出、首途とも書きます。
源義経(牛若丸)が奥州(東北地方)平泉に旅する時に旅の安全を祈ったため首途の名前が称された。
小さい神社だけど趣のあるところでした。
御朱印は書置きのものがあり初穂料を添えて頂きました。
名前 |
首途八幡宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-431-0977 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
小さな神社です。
源平花桃というきれいな紅白八重咲のハナモモがあります。
ソメイヨシノの少しあとの時期に咲いています。
駐輪場や駐車場はありません。