300円でコーヒーが飲めてゆっくりできる。
有名だがあまり知られていない岩倉具視。
東京遷都後に経済不振に陥った京都の振興に力を尽くした。
あの500円札の肖像画で馴染みの岩倉具視幽棲の地で、5年過ごされた。
幕末から維新の動乱期、新生日本の為に命懸けで活躍されした。
当時を偲ぶ資料館も必見です。
コロナの影響で現在は事前予約制となっています。
岩倉具視は公武合体を押し進めた結果、攘夷派に目をつけられ洛中追放の憂き目に合い、ほとぼりが冷めるまでこの地でおよそ5年隠遁しました。
母屋は実相院お抱え大工の住まいを買い上げ、後に客間を増設したそうです。
岩倉具視が幽棲した邸宅ですその時の建物と、資料・遺品が展示されている文庫があります専用の駐車場も離れたところにあるようでした大河ドラマの「青天を衝け」で岩倉具視を大久保利通が訪ねて来るシーンがありましたが、こんな市内から離れたとこへやって来たのかと感慨深いものがありました。
明治の元勲、岩倉具視が失脚中に隠棲してしていた家が岩倉にあり、意外と簡単に行けることを発見。
京都駅から地下鉄烏丸線で北の終点、国際会議場下車、岩倉実相院行きの京都バスに乗って終点で降りる。
数メートル戻ったところにある案内板、または最初の交差点にある標識に従うと5分位で到着。
三角のかやぶき屋根に驚かされますが、明治の初めには普通だったんだな、と思うと納得。
門をくぐって玄関から部屋に入り、軒下の廊下に敷いてある座布団に座って過去150年の歴史を思いやり、今後の世界のことなどに思いを巡らせ沈思黙考すると、日常の雑念が払われて自分を取り戻すことができます。
座敷の中から見た庭の景色も素晴らしく、今まで来なかったことが悔やまれます。
できればお天気の良い日を選んで少なくとも30分以上かけてゆっくりと景色を味わいたい場所です。
当時の火消し器や、台所なども見ることができて日本の原点に思いを馳せることができました。
幕末の動乱期に何を考え住んでいたのか思いをはせる事が出来てとても良かった。
歴史的建物を見るというより、別荘や自分の理想の庭をイメージして行くとハマる場所です。
家感覚で休憩するためにある場所です。
カフェタイムもでき、畳の上で寝ることもできました。
縁側で本を読んだりできる、そんな場所です。
観光スポットなんて思わないで、くつろぐために行く場所です。
遠かった。
小ぢんまりした家は手入れが良くガイドさんが説明していたが興味無かったので早々に退席しました。
この人は諸葛亮とは違う隠棲者だな。
此処から王政復古が始まったのかと思うと、感慨深いものがあるけど、座敷の総てを解放しているわけでは無い。
建物事態はごく普通。
とても静かで落ち着くところです。
周りの環境も静かでホッとできる空間です。
岩倉具視が和宮と徳川家茂との結婚をまとめたことにより、洛中には住めなくなったことから岩倉村へと移り住んだ5年のうち、後期の3年を過ごしたお宅が現存しており、公開されている。
地元の方に愛されていた岩倉のエピソードとして、岩倉村にまで追ってきた刺客を村人が岩倉へ「様子のおかしい人物がいる」と伝えると山へと逃げ込み、追っ手から逃れていたとのこと。
元は大工の住んでいた家にお風呂場と炊事場を繋ぎ場として新しく客間二間の建物を増築。
客間の方が公開されており、庭に面した気持ちのよい空間になっている。
庭もこじんまりとしているが、季節を感じられる造りで、近代日本を代表する造園家の7代目小川治兵衛の手も入っているとのこと。
カフェメニューも提供されており、ゆっくりと過ごすことも出来る。
暑いでも、落ち着く涼しくなったら、またきたいな。
旧宅は、大河ドラマとはえらい違う。
ちゃんとした家だった。
障子のガラス窓がなかなかいい。
倉のようなレンガ倉庫のようなかわいらしい文庫のなかは温度が低く、資料を見るのに最適だった。
猫が自由に出入りしている様がかわいらしかった。
京都に住んでいる人でも行ったことの無い人は多いのではないでしょうか。
岩倉具視についてゆっくりお話しを聞くことが出来てよいです。
岩倉の町自体が落ち着いていて気に入りました。
都を追われた岩倉具視が一時身を隠した住まい。
坂本龍馬などの偉人たちの訪問用の建物と、本人が炊事もして生活していた居住部分に分かれている。
庭の眺めが心を落ち着ける。
資料館もある。
幕末の混乱期に興味のある方は是非。
岩倉具視を余り知らないし 幽棲宅ということで歴史的記念物ぐらいの気持ちでいました。
小規模ですが大切に手入れされ守られてきたのがわかります。
ガイドの人の熱い説明。
歴史的なことから建物のこと庭木のこと‥150年前岩倉具視が植えた松が大きく育っていました。
東京で偉くなっても京都に来た時は村人と集い感謝の思いを持ち続けたという岩倉具視の知らなかった一面を知り 松の見事な枝ぶりに 大切にしてきた人たちの岩倉具視に対する親しみの情を感じました。
馬酔木の盛りの季節に訪れましたが もみじの隠れた名所だそうで 秋にもきたいと思いました。
縁側で座布団 静かなお庭 という贅沢。
③大政奉還150年 幕末維新を見よう!正しく、隠れた史跡ですね、入口から見た家は小さく見えましたが、どうして立派な家です。
俺等多くの名所旧跡の建物を見聞して来ましたが、休憩室にはお茶・コーヒーの接待を受けてるのは初めてですね。
又70才以上無料です^_^京都・洛北の実相院近く(現・京都市左京区岩倉上蔵(あぐら)町)にあり、今は住宅や病院に囲まれている。
数えの38歳で辞官・落飾した岩倉具視は地元の大工から古家を譲り受け、文久2年(1862年)9月から慶応3年(1867年)11月までの5年余り住んだ。
幽居中とはいえ活発に政治活動を続けた岩倉はここでも浪士らにつけ狙われた。
建物は質素な平屋建て二棟で、うち南側(表側)の1棟は移住後の元治元年(1864年)に、増加する来客に対応するため増築したもの。
具視死去後の明治35年(1902年)に、移住当初から建っていた北側の棟の屋根の一部が茅葺きから瓦葺きに改築されたがほぼ当時のまま残され、その後昭和7年(1932年)に国の史跡に指定されている。
基調な資料が閲覧できた。
特別公開のときに来ました。
大きくないですが落ち着きのある旧宅です。
スタッフさんの対応は丁寧で、説明される学芸員さんも知識が豊富で驚きます。
岩倉具視が文久2年(1862)から慶応3年(1867)まで5年あまり幽居したところだそうです。
紅葉が綺麗でした。
300円でコーヒーが飲めてゆっくりできる。
お庭の紅葉も美しく、ボランティアのガイドさんも丁寧に説明してくれます。
休憩所では無料で珈琲、紅茶が頂けます。
名前 |
岩倉具視幽棲旧宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-781-7984 |
住所 |
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営業時間 |
[月火木金土日] 9:00~17:00 [水] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
京都市岩倉実相院近くに有り、地下鉄・京都バスで簡単に来る事が出来ますよ。
岩倉具視隠棲旧宅は当時のままです♪