近畿三十六不動巡礼の際に参拝しました。
五大明王さんが祀られてます。
醍醐寺の五大堂は、鎮護国家・万民豊楽を祈願する道場として聖宝によって建立されたと伝えられているそうです。
現在の建物は昭和15年(1940)の再建だそうです。
ご本尊は五大明王像が祀られていたそうです。
五大堂 - 聖宝が鎮護国家の祈願道場として延喜13年(913年)に創建。
慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって再建された。
現在の堂は1940年(昭和15年)の再建。
近畿三十六不動巡礼の際に参拝しました。
現在、五大堂にあった五大明王像は宝物館に収蔵しています。
堂内の壁には菩薩や天が書かれていました。
片道2時間程かかり、結構大変でした。
かつては文化財に指定されている五大明王が祀られ、2月23日の五大力仁王会の前行法要をここで行っていました。
現在、五大明王像は霊宝館へうつりましたが、五大力菩薩の壁画がそのまま安置されています。
理源大師は、最初に薬師堂を、次に准テイ堂を建立します。
その次に五大力明王をまつった五大堂を造りました。
ここの五大力明王は悪魔除けの仏ということになっています。
鎮護国家のお経として仁王経と金明最勝王経と法華経の三つが、護国三経と呼ばれています。
仁王経だけが密教の経典で、他の二つは顕教です。
仁王経を護国の経典として仁愛のある王がいれば、その国は治まるということで「仁愛のある王がいること」という条件が付いています。
五大力明王がその国を護ってくれると書かれているわけですけれども、五大力明王は大日如来の変化仏である不動明王としてとらえられています。
本尊としては五大力明王の仏像と絵の両方がありました。
仁王経の本尊になる絵画は、弘法大師時代までさかのぼると言われます。
仏像のほうは、東寺の本堂の後ろのお堂に、仁王経の本尊の五大力明王の御首が現在も残っています。
このように、護国の経典として仁王経が尊ばれ、五大力明王が拝まれました。
それを上醍醐でお堂にして、今度は庶民信仰で厄除けの本尊として現在まで存在しています。
この建物は新しい建物です。
一月二十五日の五大力さんのお祭には、たいへんな数の人が登ります。
五大力というところから力くらべもありまして、何十キロというお餅を、一定のところから歩いてもっていくと賞品がもらえるそうです。
このときは柴灯護摩が焚かれたりして、たいへんにぎやかな雰囲気があります。
山の上に静かに建っています。
西国33カ所 霊場巡り 第十一番 t上深雪山 上醍醐 准胝堂tttt ( 醍醐寺 )桜満開の便りに便乗、醍醐寺から、峰々を通りt 第十二番 正法寺(岩間寺)へ、凡そ13キロ余のウオーク霊場をする。
何か空気が良いです。
2018-01-28中には大きな伍大力さんの絵が掛けられています。
この醍醐山を東へ抜けると、滋賀県に行きます。
が、今回は吹雪いてきたのもあり、元来た道を引き返しました。
噂通り、難所の一つでした。
しんどい思いもししたが、キリっと引き締った空気、小鳥のさえずり、吹雪が木々は葉にあたる音、霜がおりた箇所を踏みしめる足音等々を見聞きする事が出来、良い時間を過ごせました。
醍醐水を飲めなかったのが残念でした。
醍醐水のお堂から上がると准胝堂跡があります。
今は更地になっていました。
更に坂を登ると薬師堂があり、その先には鐘楼・休憩所があります。
鐘楼を左に進むと五大堂、右へ進むと頂上になり、如意輪堂・白山大権現・開山堂・上醍醐陵があります。
鳥居を降りていくと『東の覗き』『奥の院』へ向います。
奥の院へは細い木の鳥居が目印です。
脇道がルートにも見えるので、鳥居をくぐる道を選んでください。
五大堂は 醍醐天皇の御願寺として913年に創建されましたが ソノ後 他の堂宇と同じ様に 幾度と火災にあう度に 再建を繰り返し 現在の建物は 昭和15年 1940年の再建だと言う事ですまた 薄暗い堂内には 五大明王である 不動 降三世(ゴウザンゼ) 軍荼利(グンダリ) 大威徳(ダイイトク) 金剛夜叉が 安置され 国土安泰 災難身代りの霊尊として 全国的に信仰され 多くの方にお参りされているトノ事です上醍醐の標高450mと 各堂宇の中でも一番高い位置にある五大堂は 階段を登り切った平場に威風堂々と構え 堂の前には 修験者2像と僧侶1像の銅像が 待ち受けておられました兎も角よくぞ この様な山の上に 大きな建物を建てたモノだと 感心シキリです❗
供奉五大明王。
名前 |
五大堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
建物内は写真撮影禁止です。
御注意下さい。