延喜式祝詞 大祓詞に出てくる佐久那太理。
琵琶湖から流れる瀬田川の辺りにある⛩。
御祭神は瀬織津姫の命です。
何度も何度も呼ばれるように通った場所でもあります。
だからこの土地に引っ越してきました。
瀬がどっと詰まったところにある⛩でとても宇宙的、女性性のエネルギーを感じます。
まさに龍神と瀬織津姫様の融合。
統合。
降臨です!時空を超えて今、ここに私たち人類の目覚めのサポートを強く感じた素晴らしい神社です!
祓戸の大神が四柱とも揃ってお祀りされている神社です。
本殿と末社の八幡神社、稲荷神社、橋守社を撮ってくるのをすっかり忘れてしまいましたので、写真は他の方の投稿をご覧下さい。
最近「瀬織津姫」が人気らしく、その影響でしょうか?御守りは瀬織津姫のみ売り切れてました。
駐車場は無料ですが、近隣の会社の方なのか、かなり多く停まってました。
でも広いので行事の時でなければ心配ないかと思います。
お手洗いも一応有りましたが、利用しなかったので綺麗かどうかはわかりません。
が、近くのコンビニは貸してくれないので、前もって済ませておくことをお勧めします。
暑くもなく寒くもなく、爽やかな川風が吹いていて、心地良い空間でした。
社務所でお札を求めようとしましたが、居られなかったので、封筒にお金と希望のお札を書いて入れ、窓口内に置いてきました。
2022年1月8日に参拝。
JR石山駅から割と頻繁にバスが出ている。
「大石小学校前行」に乗り終点で下車すると、すぐ北に鎮座しています。
天智8年(669年)勅願により創建されたようだ。
大石良雄(忠臣蔵で有名)の曾祖父の領地であったようだ。
瀬織津姫尊、早秋津姫尊、気吹戸主尊、早佐須良姫尊神道においての最高の祝詞とされる「大祓詞」に出てきます四神の大神が祀られております。
禊をつかさどる祓戸の大神お祭る総本宮が佐久奈度神社です。
天智天皇の勅願によりこの地に中臣朝臣金連かねのむらじがこの地に社殿を作ったそうです。
大祓の神様と聞いていってみました。
特にこれー!ってないですがふとひきよせられます。
年2回はいってます。
すごく落ち着きますし静かなのでパワー貰えてる感じです。
風光明媚な場所に鎮座坐す、祓戸大神四神をお祀りしている清楚な感じがするいいお社です。
大和の明日香から天智朝に大津に都が移された時に、勅願によりこの地に瀬織津姫はじめ祓戸大神三神を修祓した場所に社を建てられた。
後に四神を祀るようになります。
大社ではあるがあまりほかの神社と代わり映えない神社だった。
特徴として本殿やその他の部分が新しい事や拾われた仔犬が社務所の辺りでぺたぺたと歩いていたことだろうか、そして何より展望台、河の荒々しい流れや音の感じられる展望台はこの神社一番の魅力だろう。
七瀬祓いの地点の1つ。
祓戸大神(ハラエドノオオカミ) 4柱をお祀りする神社です。
私が毎月買っている「雑誌ムー」の2021年6月号の特集「瀬織津姫の謎」を読んで、すぐにお詣りに来させていただきました。
宮司さんの奥さんとお話しさせていただいて、お守りなどの授与品を手作りされていて、在庫がない場合が続いていると聞きました。
雑誌に載っていた「大祓詞」の蛇腹式冊子がいただきたくて話すと、ちょうど最後の1冊があるとのこと。
感激しました。
一年ぶりの参拝でした。
石山駅からのバスの乗り継ぎも良く順調に到着しました。
美しい社殿に風が巻いて雲の流れも良く木々の緑も光輝いて気持ち良い参拝でした。
風の社の焼鎌社敏鎌社が祀られてる事も大祓の神社の由縁です。
「大石」の地名が表すがごとく、忠臣蔵の大石内蔵助の祖、大石家出生の地に鎮座まします古社。
延喜式内社。
名神大社。
由緒は、上古天智帝飛鳥から近江大津宮に遷都の砌、天智天皇六年(669)、勅願により中臣朝臣金連社殿を造営、祓戸大神三神を祀る。
爾來、唐崎神社とともに帝の厄災を祓い平安京を守護する大七瀬の祓所の一つに数えられる。
古来、伊勢神宮参拝に先立ち、当社にて禊するのが習わしとされ、当地「大石」の語源も「おいせ」の転訛との伝承あり。
眼下の瀬田川の涼やかな清流が印象的。
御朱印あり。
瀬織津比売さまは正にこちらの瀬に在します美しくドーンと何かが胸にきます瀬織津姫さまの美しさを現している場所そんな印象です駐車場である場所に以前は境内があったように記されていました納得です。
¨ 自然 ¨ がテーマの神社です。
はじめて訪れた時、祝詞を言う前からん?って予感がしていました。
やはり!!!😵とてつもなく凄い敷地ではなく、お土産屋があるわけでもなく、言ってしまえば ¨ 普通 ¨ の神社です。
が、私にとっては特別で年1でお伺いしています。
以前に伺った時に、川沿いにある小さな社が古くて少しだけお世話をさせて頂きましたが、綺麗な社になっていて安心しました。
佐久那太理(さくなだり) に落ちたぎつ速川(はやかは) の瀬に坐(ま) す、延喜式祝詞 大祓詞に出てくる佐久那太理。
横に流れる瀬田川のパワーを凝縮して集めたような神様がいらっしゃる神社でした。
すごい。
の一言です。
かなり有名な神社らしいですが、そこまで詳しくない私には普通の神社にしか映りませんでした。
足元をふと見ると神社の石段に文字が書いてあるのを発見!何が書いているのか分かりませんでした。
瀬田川のせせらぎと言うか、轟音が結構心地よく聞こえました。
(私は会えなかったですが、運がよければ、カワイイ神主さんに会えるらしいです。
)
瀬田川(琵琶湖から淀川へつながる川)のそばにあり、駐車場は川のすぐそばに広く取られてありますが、増水しているとき川は危険だと思います。
そんな中でも釣りしている人がいました。
地元の方でしょうか、慣れているのかもしれないですが見ていると怖い(^_^;)気をつけて。
祓戸大神四柱の神さまたちが美しい神社に祀られています。
u2028四神のうちの一柱「速秋津姫」はこちらの神社では「伊豆能売神」と同一とされているようで、私の産土神社の祭神なので、なんとなく思い入れがあります。
この神社沿いの道をよく通るので、何度か参拝していますが、以前は本殿の絨毯上にルンバがありました。
お掃除ロボットが現代の祓いの神さまの使いかも、と思うと愉快です(笑)
祝詞に精通した方や、ホツマツタヱや神話に興味がある、ある程度マニアックな方が辿り着く聖地です(笑)と言うのも佐久奈戸神社は大祓祝詞に登場する祓戸四大神の総本山と言えます。
御祭神は祓戸四大神(瀬織津姫命:伊勢神宮内宮・荒祭官天照大神の荒魂として祭る,、速秋津姫命:伊勢神宮内宮・滝沢宮並宮、気吹戸主命:伊勢神宮外宮・多賀宮豊受大神の荒魂として祭る,、速佐須良姫命)。
社伝によれば、創建は669年。
勅願により瀬田川の急流のこの地において中臣朝臣金連が祓えを行い、社殿を設けて祓戸大神三柱を奉祀したことに由来します。
当地は八張口、桜谷と称され、天下の祓所として著名な場所であり、大七瀬の祓所のひとつです。
伊勢神宮に参拝する前に佐久奈度神社で禊をするのが習わしとされ、大石の語源も伊勢詣での祓所を意味する忌伊勢(おいせ)が訛ったものとされています。
神道の祭祀に用いられる祝詞の一つに、大祓詞(おおはらえのことば)がありますが、その元となった『中臣大祓詞』の創始地が、この佐久奈度神社なんだそうです。
古来より社に伝わる祓詞が、文武天皇時代に『中臣大祓詞』として増補制定され、さらに明治になって、国家管理のもと制定された新たな祝詞が、『中臣大祓詞』より抜粋された『大祓詞』なのだとか。
大祓詞の後半では、社の御祭神である四柱の祓戸神によって、罪・穢れが消え去る様子が述べられています。
ここでいう「罪」「穢れ」とは、現代のそれとは少し違っています。
「罪」は、汚れに包まれていたり、汚れが多く積っている状態のこと。
「穢れ」は、気が枯れている状態(気枯れ)のこと。
禊とは、「身削ぎ」の意味で、身(御霊)の垢を削ぐことです。
自分の我欲の心から出た垢をそぎ落とすのが、禊なのです。
その罪穢れを消し去ってくれるのが御祭神の祓戸四神で、まず最初に登場する川神・瀬織津姫命が、勢いよく流れ下る川の力により、罪穢れを大海原に押し流してくれます。
次に、海神・速秋津姫命が、その大海に流れ出た罪穣れを勢いよく呑み込んでくれます。
つづいて風神・気吹戸主命が、その罪穢れを地底(根の国、底の国)へと吹き放ちます。
最後に、地底に住む速佐須良姫命がこれを浄化・消滅させて、祓いは完了。
・瀬織津姫命神道の最高祝詞である「大祓詞」には「高山の末短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津姫という神、大海原に持ち出でなむ。
」とあります。
勢いよく流れ下る川の力によって人々や社会の罪穢れを大海原に押し流してしま う、川に宿る大自然神であることがわかります。
「大祓詞」の最古の注釈書といわれる「中臣祓注抄」では、「速川の瀬」を「三途の川なり」と説明しており、「神宮方書」においては「瀬織津姫は三途川のうばなり」と書かれております。
人々が犯した罪穢れを剥ぎ取り、生まれたままの姿に戻す働きの神であるともいえます。
・速秋津姫命イザナギノ尊のミソギで生まれた神が「伊豆能荒神(いずのめのかみ)」で、罪穢れを清める神とされます。
この神が速秋津姫命です。
「大祓詞」には、「荒潮の潮の八百道の八潮道の八百会に坐す速秋津姫命と云う神持ちかか呑みてむ」とあり、 海の神である早秋津姫命が、大海に流れ出た罪穣れを勢いよく呑み込んでしまいます。
・気吹戸主命同じときに生まれた神が「神直日神(かむなおひのかみ)」です。
日本の神話には完全な悪は存在しません。
かわりに「禍」とか「邪」という言い方をします。
つまり、本来はまっすぐだったものが、途中で方向が曲がってしまっただけだという考えです。
この神はこのような曲がった状態をまっすぐにして、本来の直日(直霊=自己)に戻す働きをする神です。
「倭姫命世紀」「中臣祓訓解」では、この神が気吹戸主尊であるとしています。
「大祓詞」には「かくかか呑みては、気吹戸に坐す気吹戸主という神、根の国底の国に気吹き放ちてむ」とあり、速秋津姫命が海に呑み込んだ罪穢れを風の神である息吹戸主命が、根の国底の国(地底)に吹き放ちます。
・遠佐須良姫命「大祓詞」には「かく気吹き放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売という神持ちさすらい失いてむ」とあり、気吹戸主命によって気吹き放たれた罪穢れが根の国底の国に住む葉や遠佐須良姫命により浄化され消滅し、大祓詞の最後にある「罪という罪はあらじ」という状態になります。
これで個人も社会も、病んでいる気から元の気へともどり文字通り「元気」になるわけです。
近畿の水瓶琵琶湖より流れる宇治川沿いパワースポット 周辺 周辺 美しい山々に囲まれ 清らかに流れる水音 美しい水 静かに見守るような場所に 眺めているだけでパワーが身体に入ってきます。
大祓詞にていらっしゃる祓え度の大神さまたちがお祀りされていらっしゃいます。
川のせせらぎを聞きながらの参拝は罪穢れを祓い清めてくださるような優しいパワーを感じさせていただける神社様でした。
佐久奈度神社には、ワン巫女様がおられます(笑)可愛い可愛い服でお迎えして下さいます。
毎年会いに行かせてもらってます。
1400年の由緒ある神社です。
皆様も是非御参拝下さいませ。
祓戸四神様がご祭神のとても歴史を感じる神社です。
神社横を流れる川がとても美しく、こちらで瀬織津姫様が禊をしてくださるのかと、思いを馳せたりします♡美しい姫神様に相応しい優しい空気漂う、美しい蝶が舞う境内には、可愛らしい宮司さんのお姿も運が良ければお会いできます♡
神社伝承 古文献 言伝え等の【古代の記憶】を見つめると 佐久奈度神社の一つの「物語」が浮かびます 其の「物語」を掘り下げてゆくことで 其処にいた人々が日々をどの様に暮らし 様々な出来事の中でどう生きたのかが想像できます これは古代を知る楽しみ方の一つだと思います 祓い戸四神は実は一人の王に妻達 義理の息子として繋がっています 瀬織津姫は正妻(内宮) 速秋津姫尊(ハヤアキツヒメ)は妻の一人気吹戸主尊は三女の夫(市杵島姫の夫)速佐須良姫尊(ハヤサスラヒメ=以下ハヤコ)は妻の一人(市杵島姫の母)そして神とは扱われず しかし 中心人物として五人目がいました マス姫モチコ(以下モチコ)は妻の一人 (王の十二妃の最上位)です【延喜式祝詞 大祓詞(おおはらえのことば】では以下の記述の部分 「…根国 底之国に坐す速佐須良比売(ハヤサスラヒメ) と云ふ神、持ち速佐須良比(モチサスラヒ) 失ひてむ…」モチコを意味する掛け言葉のようにも思えます一人の王とは天照大御神(男神)です 遥か昔 天照大御神に全国の有力な豪族の娘達から妃が選ばれました 内宮(正妻)と他に十二人の妃です家の格式と力関係で正妻は事実上始めから決まってました しかしそれをひっくり返す事件が起こります 天照大御神が瀬津姫尊を内宮に選んだ事です序列から言えばモチコ が一番でした 正妻の座を奪おうとするモチコと瀬津姫尊との最初の争いが始まります やがて モチコには第一子の天穂日命が生まれ王位継承者とされますしかし中々子供が出来なかった瀬津姫尊にも男子が生まれます 第八子の天忍穂耳尊です そして王位継承権が移ります ここから次期王座をめぐる瀬織津姫とモチコの更なる争いが始まります処がある日 天照大御神は急死しますその後は周囲を巻込み壮絶な争いとなリますしかし決局モチコは妹の速佐須良比売(ハヤコ)と共にスサノオとの不倫を問われヒカワ(斐川 出雲 流刑地)に移ります 瀬織津姫への憎み恨む心は 徐々に二人の心を蝕み姿を変幻させます 愚霊に支配されるモチコ (モチオロチ) とハヤコ(ハヤオロチ) ヤマタノオロチとなりますそしてモチコとハヤコが斐川に行った事が「六ハタレ」という全国80万人の反体制勢力の反乱の原因になります 祓い戸の神々は 願う者一人一人の罪穢を祓い浄めるという尊い役目を担って下さっています しかし 天照大御神の妻達 親族という高い地位に在りながら朝廷を権力争いの場に貶め 国中を混乱に巻き込むという「罪」犯しました 其の罪を償う為 日々その汚れを身に受けながら 世の中の罪穢を集めて洗い流す役割を果たされています。
祓え戸の四神。
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)速佐須良姫命(はやさすらひめのみこと) が主祭神。
汚れを払うには最強の四神だ(笑)しかもお札が別々に売っている✨天智天皇8年(669年)勅願により、中臣金が祓戸の神を祀ったのが創始である。
以来、七瀬の祓い所の一つとして重んぜられ、仁寿元年(851年)名神に列し[1]、貞観元年(859年)には従五位上の神階を賜り[2]、名神大社として延喜の制に定められるなど当地方の名社であった。
滋賀県大津市大石中町の神社669年創祀。
祓戸大神総本宮として祓戸神三神(現在四柱)を奉祀する大七瀬の祓所琵琶湖畔から宇治川淀川水系を中心とする大七瀬祓所は市内の左久奈度神社と唐崎神社から展開する。
当左久奈谷(桜谷)は神道の中枢と言われる大祓詞の発祥地と伝わる七瀬祓いとは天皇の災厄罪穢を陰陽師により移した人形を七人の勅使が七瀬の祓所に流し祓いと禊ぎをした朝廷の神事である。
瀬田川の景勝地である鹿跳橋(ししとびばし)を渡って、右手の高台にある神社。
奈良時代の創祀です。
「さくなど」という名は、さくなだり(急所)に由来する「ともくなど」の神(境の神)にちなんでいるといわれています。
人々は、瀬田川の激流があらゆる罪やけがれを乗せて、流し去ってくれる場所として考えていたようです。
平安時代になると、神社は祓(はら)い所として名高くなり、祓(はらい)行事が行われるようになりました。
この伝統は現在まで引き継がれ、7月31日には川のながれを利用して人形(ひとがた)の祓い、茅(ち)の輪(わ)の祓(はら)いなどが行われる御洗祭(みたらしさい)があります。
社殿はかつて河畔にありましたが、天ヶ瀬(あまがせ)ダム建設によって現在の高台に移動し、新しい社殿は朱塗で美しいです。
名前 |
佐久奈度神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
077-546-0079 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
御祭神が瀬織津姫命の神社とのことで人気があるそうですが私が行った日は参拝客が少なく静かで清々しい神社でした。