国道163と24号線の重要な道路。
木津川自転車道の奈良側の起点。
入り口は泉大橋の南側。
2枚目の写真の入り口は、奈良方面からは24号線を北上し、泉大橋が見えたらその手前にあります。
終点の八幡市の御幸橋まで堤防の上をたどって約25kmあります。
途中何度も大きな道とクロスしますが、ほとんど堰堤を下ってトンネルで交差しますので安全です。
これと言って見どころはありませんが、八幡市に入る約20km地点に「流れ橋」があります。
また御幸橋のさくら出会い館まで、自販機やコンビニなどはなく、途中で立ち寄るには木津川から離れる必要があるので、ここに来るまでに準備した方がいいでしょう。
泉大橋(いずみおおはし)は、京都府木津川市の国道24号兼国道163号線上にある木津川に架かる橋であり、日本百名橋に選ばれている。
歴史行基が740年(行基年譜)か741年(行基大菩薩行状記)に架けたのが始まりとされる。
恭仁京の建設時には3か所で橋が架けられたが、876年には橋が洪水で流され(日本三代実録)、明治時代の1877年まで橋を架けずに船で渡ったと推定される。
仮設の橋だったこともあり2度にわたり橋が流され、1893年京都府費によって初めて両岸をつなぐ橋が架けられた。
1901年には現在の橋より長い594メートルの橋が架けられるが、1917年に流されてしまう。
その後、ボウストリングトラス構造の橋を経て、現在ある橋が架けられた。
SUPするためには降りる場所が無いので、橋を渡って向こう側の河原が見えるところから歩いて、河原に降りる必要が有ります。
また、上流の笠置から下った場合はここの河原から上がって木津市へ向かいます。
740年行基が架けたのがこの橋の始まり。
この地は昔から洪水の多発地区でよく橋が流され明治時代まで、橋を架けず舟で渡った様子らしい。
1893年初めて京都府費によって、今の長さより長い橋が架けられるもまた流され1951年現在再建され現代に至るとのことです。
橋の構造はボウストリングトラスという構造とのことです。
松村博「日本百名橋」鹿島出版会 木津町史編纂委員会「木津町史」より。
どうして木津川の自転車道は車優先で歩行者自転車側に停止線があるんや?実際、車は徐行もせずそのまま自転車道路を横切って土手降りて行くもんな。
国道24号線の橋、京都と奈良を結ぶ大動脈ですから木津駅辺りまでよく混みます。
「泉」というのは木津川の古い名前で、古代「たけはに」という大阪の枚方あたりの豪族がこの川原で軍勢を整えて奈良に向けて出陣したことが語源とか。
あと、木津川市加茂町にマンガン鉱山が昔ありましたので、運が良ければこの橋の下流でマンガン鉱石が拾えるかもしれません。
なお、加茂町の菱マンガン鉱は京都府のレッドデータブックです。
菱マンガン鉱石は別名「ロードクロサイト」良質のものは宝石になりますが、ここで拾えるのはただの石です。
あとはよく見つかるのは紅柱石と珪化木ですかね。
名前 |
泉大橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-601-7212 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
バイクでこの橋を渡る時、ヤエーしてくれるライダーが多くて嬉しい気持ちになります♪