・当尾の石仏中、最大最古の像である。
当尾の石仏中、最古最大の像である。
阿弥陀如来とされているが弥勒如来等の説もあり、確定しきれていない。
また年代も平安後期説と奈良時代説があり、今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまである。
アスファルトの道からも見えますが、看板を目印に斜面を下りていくと近くまで行けます。
約2年前に一度訪れたときは道が完全に草におおわれていてどう行けばよいか分からなかったのですが、草も刈り取られ、道が非常に分かりやすくなっていました。
道がぬかるんでいて、凄く歩きにくい。
加茂のプラネタリウム館の横の道を上がって下さい。
谷を挟んだ向かい側に大きな仏さんがあります。
2.5あるので近くで見たいですが、夏場は草がすごくて近づけそうにないです。
近付くにしても、マムシ出ますので気をつけて下さい。
ただ、遠くから見るだけでも非常に立派なものですよ。
何でこんな大きなものが京都の外れにあるかというと、この地域は奈良の都の真裏、奈良の人にすれば山の真裏(加茂)は極楽浄土な訳です。
そういう訳でこの地域を山の後ろ(山背→山城)と言って色々石仏作るのが平安時代末期ごろに流行ったんです。
源平の戦いで奈良の寺院も焼かれたり人もたくさん亡くなりましたので。
ちょうど極楽浄土の出入口の大門仏谷は特に立派なもん置いたのです。
ちなみに昔々この地域を指す山背という言葉がいつのまにか京都全体を指す言葉になったとか。
昔見た映画の「大魔人」を思い出しました。
存在感のある磨崖仏。
近くまで行くのは足場が悪くちょっと大変でしたが、行く価値は十分にあります。
木津川市内東南部の加茂町当尾(とおの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び、念仏に専心したと伝えられています。
やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。
浄瑠璃寺や岩船寺周辺は小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在し、多くの磨崖仏が造立されました。
これらは道を行き交う人々を優しく見つめてくれる道しるべとしての石仏達です。
石仏は当尾の里の広範囲にわたり、散策コースの道中では旬の野菜が並ぶ吊り店(露店)など、四季折々の美しい山村の風景が楽しめます。
当尾の石仏群中、最大の磨崖仏です。
像名に関して、阿弥陀如来、弥勒如来、釈迦如来などの諸説があり、まだ確定しきれていません。
また製作時期に関しても奈良時代から鎌倉中期までの諸説があり、今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまです。
かつては真下まで行ける道があったのですが、現在は草に埋もれてしまい、谷を隔てた道が拝所となります。
・当尾の石仏中、最大最古の像である。
阿弥陀如来とされているが弥勒如来等の説もあり、確定しきれていない。
また年代も平安期説と奈良時代説があり、今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまである。
※当尾を守る会事務局発行の資料より・“如来形”と云うからには、諸説あるみたい。
足場が悪く、仏様の下へ辿り着くのに一苦労。
遠目で眺めた大きさと違って、間近に見る圧倒的スケールに驚き。
筋肉モリモリで相撲取りのような体つき。
近辺の石仏、石像、石像物の中で一番存在感があった。
加茂のプラネタリウムから当尾へ向かって行くと途中その道からこの大門石仏を見ることことができます。
遠景でこの大石仏を見るのも素晴らしいものです。
また、狭い道ですがこの遠望点から少し前を左手に入って、畑の中を通リ石仏の直下まで行くこともできます。
興味深い仏様が見られますが、現在は車道から谷を挟んだ向こう側の仏様を拝むのみで、近づくことはできません。
(2017/9/2時点)
名前 |
仏谷 阿弥陀磨崖仏 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.0 |
JR加茂よりバスで岩舟寺まで行きそこから石仏を巡って歩きました。
お店が無いのでお弁当を持っていった方がいいと思います。