仕置き場昔罪人をここで処刑した。
処刑場の跡です。
山奥にありそれらしい雰囲気が漂っています。
徳川家康に天下になり、伊賀越えの協力者を代官の据え、治安にも力入れた様です。
仕置場の分岐を真っすぐ進むとダートの堂江林道からダートの尼ケ谷林道を経て、舗装路の中垣外林道へ出られる。
興味津々で行く場所ではない。
有名な神霊スポットです。
供養の墓碑二つと特に何があるという訳ではありませんが雰囲気はあります。
伊賀上野から向かうと結構峠が辛いかも。
反対側からの方がまだ道がきれいかもしれない。
通りからぎりぎり見える程度なので車などで入らず歩いて入るのがベター。
むしろこんな山奥にゴルフ場がな有る方が凄いと感じてしまった。
県道138号(信楽上野線)の県境から少し西の滋賀県側にあります。
県道に写真のような標柱が立っており、幅員2.0m程度の山道を100m進んだところに墓石のような石碑がひっそりと建立されています。
その場所だけが4間四方程度の平地になっており、周りは手入れされた杉の植林帯で非常に寂しさを感じます。
往時は杉では無く自然林だったと思いますが、現世から隔離されたような虚無感や静寂感の雰囲気は残っています。
石碑の建つ辺りに罪人が坐る土壇場が設けられていたのか…と想像するだけで身震いしてしまいます。
まだ新しい献花が添えられているの見て、手を合わせずにはいられなくなりました。
徳川幕府の元で多羅尾家が代々代官を務めた信楽代官所の処刑場である。
多羅尾家は徳川家康が本能寺の変後堺から三河に逃げ帰る時この伊賀を越える(家康の伊賀越え)必要がありそれを助けたのが多羅尾家である。
秀吉時代秀次の謀反に連座して浪々の身に為ったがこの伊賀越えの恩に報いて徳川家の代官として取り立てた。
明治維新まで多羅尾家が代官として務める。
処刑日は12月20日とされており、牢屋から出された罪人は裸馬に乗せられこの地で処刑された。
史跡ではあるが此処で罪人と云えども人が斬首された処と思うとやはり不気味な感じのする場所だった。
仕置き場昔罪人をここで処刑した。
名前 |
仕置場跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
車道沿いに説明書きがある。
実際の仕置場は林道を少し北に入った場所にある。