紅葉も綺麗で感激でした。
紫香楽宮跡 内裏野地区 / / .
折角の歴史施設ですが、ホントに跡て感じです。
もう少しお金をかければ良い施設になると思います。
遥か昔のモノガタリ。
天平文化の雅やかな雰囲気醸し出す。
今は、ただひっそりと、木々に埋もれた、廃都。
礎石だけが遺り、昔語り、東大寺の前に、建てられた、寺院跡。
余りにも短命に終わった、この土地柄だからこそ今に遺る時代の狭間の天平の遺跡。
参道前に数台の駐車スペースが有ります。
紫香楽宮といって、奈良時代の天平14年(742)に聖武天皇が離宮として造営とある。
何でこんな所に宮殿を作ったのか ?ところが昭和に入る前、近くの宮町遺跡から多くの建物跡が検出され、ここは甲賀寺の跡、又は甲賀国分寺跡という説が有力になったそうです。
(現地説明看板から)まぁそんな話は吉村作治先生や発掘調査員に任せて、建物跡の礎石が残っているので見て行こう🎵成る程、厳かに参道を進むと中門、石階段を上ると金堂が有り、ここで手を合わす。
奥へ進むと塔堂、講堂、経楼等跡が見える。
説明のプレート立派で親切です。
ふふっ、金堂以外は石が残っているだけで何も無いからね、想像力豊かな人にお薦めです✨
礎石がしっかり残ってます。
近くの資料館で往時のCGが楽しめます!
ポールウオーキングで初めて訪ねる事ができ、紅葉も綺麗で感激でした。
レプリカ?と見紛うほど、古代寺院礎石が良好に豊富に残り、伽藍配置がよく分かる。
心安らぐ場所でした。
ある程度、歴史を勉強して行くと楽しいと思います。
ひと通り巡りましたが、ずいぶんいろいろなものがあったようですね。
今日は予備日として信楽までのルート走る積りで、途中のこちらによりました。
参道を帰る途中に出会ったご夫妻が別の情報も教えてくれたので、帰り際に寄りたいと思います。
信楽地区は昔、工場に勤務していた頃、ガラスを窯元で焼いてもらっていたことから、当時は何回か訪れた経緯があり、その景色にも馴染みがありますが、何と言っても焼きものの町ですね。
こちらは…黄瀬地区にこの辺はあたるようですが歴史書によればこの都は途中にあやしの火かなにかで確か完成までには至らずに放棄されたのではなかったかしら?
遺構が出てきたというだけの単なる広場にしか見えないが、周囲の遺跡と併せ、1300年間の歴史を振り返りたい。
整備された場所にあるのは良いのだけれど、林のようになってしまっていて、散策するに合っているのかどうか。
聖武天皇ゆかりの平城京、恭仁京跡に比べると何故こんなところに都を。
という感じがする。
古の歴史に耽ってみるのもいいです。
駐車場が無く案内もほとんど無くて判りにくかった。
聖武天皇による毘盧遮那仏の寺院を建てる計画があったが、不審火などが相次いで計画は頓挫した。
ただ完全に計画がお蔵入りすることはなく、最終的に奈良の東大寺に大仏が建てられるよつになったとのこと。
もし不審火がなければ、信楽の地に世界遺産が存在していたかも知れない(そもそも歴史上の東大寺の炎上もなかったかも)
こんなのがあったなんて今まで知らなかった。
帰省で信楽焼を買いに行った途中に寄りましたがなかなかマイナー度の高いパワースポットではないでしょうかね。
綺麗なトイレや駐車場もあるので時間のある方は行って見てもいいかもしれませんよ。
基本なにもない静かな場所です。
悠久の歴史を感じてください。
紫香楽宮があった跡地です。
大きな建物だったんでしょうね、柱が建ってた下に置いてある礎石が沢山残ってます。
2018年11月訪問。
国道から案内標識に従って脇道に入りますが、参道入口への細い道に入るところは注意していないと通り過ぎてしまいます。
ここは紫香楽宮の寺院跡だということで、想像力を利かせながらザッと見る程度かなと思っていたら、予想を大きく超えて大規模で立派な跡地でした。
よく、大きな邸宅でも上物を解体して更地にしたら意外に狭いっていうことがありますが、金堂や講堂の跡地は面積も大きく、ここにあった建物はさぞかし大きくて立派だったに違いありません。
他に誰も観光客がいなかったこともあって、ほんの一時期ながら古代の日本の中心地だったところに身を置いて思いを巡らすことができました。
甲賀寺跡にナビを設定すると駐車場や参拝入り口にスムーズに行くことができます。
江戸期の早い段階から礎石や瓦が出土し文献に記載。
都会の喧騒から逃れて一息なら良い。
名前 |
紫香楽宮跡 内裏野地区 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
幻の都、紫香楽宮跡に建てられた甲賀宮国分寺の礎石遺構。