程よい高さの城山で見晴らしも良いです。
水口岡山城は、羽柴秀吉の命により中村一氏が天正13年(1585年)、甲賀郡の支配の拠点として築き、入城しました。
その時、平安時代の昔から、都から伊勢国へと通じる街道の要所として栄えていた宿場町水口の原型をつくりました。
その後、天正18年(1590年)に増田長盛が、文禄4年(1595年)には長束正家と五奉行を務めた2人が相次いで入城しています。
『お城EXPOin甲賀』の流れで、こちらにも。
クルマで近くまで行けるはずが、途中で鉄製のアーチ型ガードパイプにより封鎖されていました。
城山の登頂部は、曲輪が幾重も連なっていて、大軍勢が駐留できそうな感じ。
(水の手はあまりなさそうてすが。
)単純防御力はかなり高いと想像されます。
天守閣もなく、石垣もほぼありませんが、遺構が明確に残っていて、よいお城だと思います。
南側の駐車場から徒歩30分ぐらいで着きます。
ただ、夏場は登城道にまで雑草がはびこっていますので、草が無くなる冬場に行くのが良いかもしれません。
本丸への道は初見ではわかりにくいですが(複数ルートがあるみたいですが、雑草が凄過ぎて不明)、メインルートは途中から可愛らしいキャラクターの看板が案内してくれました。
本丸付近は夏場でもよく手入れされており、石垣や虎口等がよくわかります。
また、ポイントごとに「石垣はあちら」みたいな看板があるので、見落とさないような配慮を感じます。
使用された期間は短いものの、本丸の広さに圧倒されました。
二の丸三の丸もさることながら、三の丸から出丸までの落差が大きく、多分15mはあろうかと思います。
400年たった今でも縄張りが色濃く残っているので見応えあると思います。
登山口に無料の駐車場があり、登山道もきれいに整備されているので手軽に登城できます。
自動販売機などは無いので、飲み物だけ確保しておくと良いかと思います。
途中に公園があったり、櫓の展望台があったりして、山からの眺めも堪能できました。
案内看板も所々に設置されていて、各種の学習もできました。
年に1回?、イベントの際には、バルーン城が設置され、天守周辺には屋台の出店があったり、無料で参加できる謎解き(初級・中級・上級の設定あり)は家族で楽しめました。
御城印は「甲賀市ひと・まち街道交流館」で購入できます。
水口城は寛永十一年(1634)三代将軍家光の上洛に先立ち、道中となる水口に専用の宿館として築かれた。
城は堀と石垣をめぐらした本丸と北側の二の丸からなり、本丸内部には御殿が建てられている。
その建物構成は京都二条城に共通し、数奇をこらしたものであった。
駐車場も十分あり、登りやすく整備されてます。
それでも30分は山道を歩くので、それなりの服装は必要です。
城の歴史は、ところどころに説明板があるので勉強になりました。
頂上からの見張らしもよく、山登りの心地よさを味わえます。
ちょうど椿(さざんか??)の時期で、たくさんさいていて綺麗でした。
等間隔に置かれた仏さんの山道は、とてもきれいで撮影に最適かとおもいます。
とても良い城跡です。
1585年甲賀郡の拠点として中村一氏が築き、後に増田長盛や長束正家が入城した所謂 ”水口城” 跡はこちらです。
甲賀市はこちらをメインに推した方が良いと思います。
歴史的にも十分すぎる史料なので、江戸時代に造られた方の現野球グラウンドは置いておいて、こちらの城跡の保全と整備をお願いしたいものです。
何なら復興天守でも建てたら良いと思いますが…。
1585年中村一氏の城主の城跡になります。
石材は三雲城から、用材や瓦は、矢川寺から調達されました。
また、大溝城からも建物の部材や瓦を運んでいます。
中村一氏は岸和田城の城主でした。
そこは、紀州攻めの拠点になった重要な城です。
太田城の水攻めや、紀ノ川沿いにある雑賀衆、根来衆を攻め落とした城です。
水攻めの時土塀を造り水をいれたのですが、一部堤防が壊れた場所を守っていた甲賀衆に責任を問われ、武士の資格を剥奪しています。
これが甲賀ゆれといわれます。
甲賀衆の本拠地を押さえるため、水口岡山城をつくったといわれます。
甲賀はこれ以前は、甲賀郡中惣といって、自治的な組織で、大名家には所属せずに油日神社で合議制で町を運営していた場所でしたが、これをきっかけに秀吉の傘下にはいる大転換をすることになりました。
中村一氏はこの時に秀吉の宿老になってます。
二代城主は増田長盛、三代城主は長束正家がなり、2人は秀吉政権の奉行です。
秀吉がいかに水口岡山城を重要視していたかがわかります。
織田信長は水運を掌握すべく、大溝城、坂本城、長浜城🏯、安土城と全て湖城です。
秀吉は、街道を抑えを重視し、佐和山城、八幡山城、大津城、水口岡山城をつくり、近江の国は、東国制覇の拠点としました。
水口岡山城は東海道伊勢大路ですし、佐和山城、八幡山城は東山道の抑えにしています。
秀吉は当時豊臣家の御三家をつくってます。
弟の秀長、甥の秀次です。
秀長は、大和郡山、秀次は、近江拠点国内所に領地をわけています。
後の徳川御三家は秀吉時代のものを真似てつくったといわれています。
中村一氏は秀次の宿老の筆頭になってます。
水口岡山城の石材や用材は水口城につかわれています。
国史跡水口岡山城跡豊臣秀吉の命により中村一氏が1585年近江南部の支配のためこの地にある大岡山(岡山)に築城しました。
1600年関ヶ原の戦いで城主長束正家が西軍につき敗北し廃城、その間15年存在した城でした。
徳川家康の時代になると岡山の麓に新しく水口城が築城され、この時に水口岡山城の石垣が転用されました。
少しですが当時の石垣は本丸北側に一部現存し、織豊時代の面影を感じる遺構になっています。
城郭は本丸の東側に二の丸と三の丸が並ぶ構造で堀切で分けられています。
見所の一つです。
南側麓には5台くらいの駐車場があり、そこから本丸まで15分〜20分くらい比高差は90m程度です。
2020年2月登城。
1585年、秀吉の命を受けた中村一氏が甲賀支配のため、水口に築城した。
その後、増田長盛、長束正家と五奉行クラスの城主が続いたが、西軍に属した正家は、関ヶ原から敗走し、この城に籠ったのち、降伏し、正家は切腹となり、城も廃城となった。
今は整備された公園だが、かつては街を見下ろし、権威の象徴だったのだろう。
登山口駐車場より比較的楽に上れる。
途中の曲輪趾には簡単な遊具もあり、古城山頂上には石垣、空堀趾が保存されている。
空堀、堀切など雑草が多く残念。
頂上は良く整備されベンチがあり琵琶湖方面や鈴鹿山系の眺望が良い。
頂上まで20分くらいかな。
それほど傾斜もきつくないので、気軽に登れます。
旧1号線側に駐車場があります。
城山中学校側から林道みたいな道を上がれば頂上近くまで行けますが、隘路でお勧めできません。
見晴らしも良く、たまの軽めの森林浴にはおススメです。
水口城資料館の方に300mぐらいの高さと言われてビビりましたが、標高だったのですね。
比高は100m程。
病院側から登りました。
神社のあたりまではしっかり整備されていましたが、本丸跡近くは台風などの影響か、歩きづらくなっていました。
いい運動になりました。
もう少し木々を整備してくれれば、絶景かと思いましたが…二の丸、三の丸はパスしました。
初めて安易な方向から昇りましたが、それでもけっこう歩きました。
今は下りの途中ですが、昇りの途中に穂徳稲荷神社、白玉神社があるのですね。
こちらは前に一度、ホテル古城の辺りの急坂から一気に昇りましたが、今日は駐車場付近からすなおに道案内にしたがって昇りました。
頂上付近に水口岡山城の本丸跡がありますが、傍らに鳥居のある小さなお社がありました。
頂上までには二の丸跡、三の丸跡、石垣跡など寄道がたくさんあります。
頂上にはベンチがいくつかあり、天気が良いと素晴しい眺望が楽しめます。
これから気候が涼しくなれば弁当・飲みものを用意して、ハイキングの積りでのぼるのもいいですね。
そういえば穂徳稲荷神社手前付近には簡単な遊具などもありましたし、石仏がたくさんありましたね。
石垣、曲輪、空堀、虎口が残っており、看板や杭など丁寧に解説されています。
看板の縄張り図と地形を見ながら歩いていると在りし日の立派な城が思い浮かびます。
景色もよくお薦めのです。
公園としても良いところです。
小さい頃に近くに住んでいたなら毎日のように遊びに出かけただろうと思います。
西の丸まで車でのぼることができるようです。
小さな子供連れの親子が車で遊びに来ていました。
滋賀県甲賀市水口町の城跡狭小な石垣を僅かに残すのみの荒れ果てた寂しい城址であった1585年、羽柴(豊臣)秀吉の命で中村一氏が築城し初代城主とし60,000石の大名で入城此の城の築城によって忍術で知られる甲賀衆一族の在地独立支配という全国的にも特殊な政治形態が払拭され近世甲賀の歴史の幕開けとなった。
秀吉は同年に築城された滋賀県近江八幡市の八幡山城を当時の後継者・羽柴(豊臣)秀次に与え城主とした。
水口城初代城主の中村一氏は秀次の家老職も兼任していた事から、此の水口城は八幡山城の支城としての役割も担っていた。
1590年豊臣秀次の関白就任国替と共に水口城の中村一氏も国替1595年に増田長盛が二代城主とし入城するが1600年に関ヶ原決戦の流れで東軍勢に攻撃され水口城は落城し廃城となった。
此の城は水口城と岡山城とも(城郭の山名に由来)呼ばれた1634年に徳川家光が新たに水口城(将軍家御茶屋御殿)を築城する際に新城築城の建材とし破却解体された以降は水口岡山城跡と呼ばれる。
名前 |
水口岡山城本丸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
登山口に駐車場がありますが、北側から山頂近くまで車で行けます。
数台止められる駐車場もあります。