修復された大手門(外大手一の門)市中に立てられた町...
地震の被害を受け、修復された大手門(外大手一の門)市中に立てられた町割など案内板を見つけました。
興味があったので撮影をしてきました。
中村城跡 各郭の解説を引用しますと,「外大手一の門」は相馬義胤が武蔵国川越城の城番のときに城門の堅固さに感心し,それを模して改造したといわれています。
外大手一の門と二の門の間にある枡形は、一の門の突き当たりに「武者落としの堀」と言われる堀があり、その向こうの土塁の上に狭間の付いた土塁を回し,二の門は楼門で堅固守りの仕掛けが施されました。
とあります。
R6.4/6(土)写真の桜は咲いているものをアップで撮影したものです。
実際は二分から三分咲きと言ったところです。
天候も悪かった(小雨)ので…。
来週暖かくなったらキレイになるのでしようね。
2023年8月19日に訪れました。
別名、馬陵城とも呼ばれる城ですが、ここ天神山には、延暦年間(800年頃)頃に館が既に築かれていたと言います。
現在の様な石垣を有する城になったのは、慶長16年1611年に相馬利胤が築城し、小高城から本拠地を移した時からです。
相馬氏は、元々、下総国(千葉県)の豪族でした。
奥州合戦の戦功により、源頼朝から行方郡周辺の地を賜りました。
元享3年1321年に相馬孫五郎重胤が、守谷城から行方郡太田村(南相馬市原町区)の別所の館(現在の太田神社 相馬三妙見の一社)へ移住したと伝わっています。
その後、小高城へ本拠地を移しました。
慶長2年1597年〜慶長7年1602年までの間、牛越城へ本拠地を移した時期があります。
関ヶ原合戦で中立の立場をとったことを徳川家康からとがめられ、改易の通達を受けました。
相馬利胤に代替わりすることで、改易は免れましたが、牛越城は、不吉とされ、小高城へ本拠地を戻すことになります。
中村城の築城は、伊達政宗との攻防を有利に進めるためだったと考えられます。
寛文10年1670年に天守閣へ落雷があり、天守閣は焼失しました。
天守閣は、再建されることはありませんでした。
明治4年1871年に廃城になりました。
静寂の中に、鳥の囀ずりと心地よい風が吹き抜けていました‼️すみません❗写メ撮るのを忘れてました😓馬の力強い絵柄が素敵な御朱印です❗
2023/5/1に訪れました。
福島県相馬市中村北町地区にある相馬中村城跡で馬陵城とも呼ばれいます。
城内高台の相馬神社の東側に17代当主が中村城築記念に植えられたと伝えられている藤棚があります。
推定樹齢は約400年・樹高2.5m・直径14m程度で例年の見頃は5月上旬〜中旬です。
相馬市の街中、市役所の西隣にあります。
立派な内堀があります。
本丸には藤棚があります。
地震でかなりの被害がありました。
昨年も地震で被災し、クラウドファンディングをして修理したのに、また被災。
微力ですが協力したいと思っております。
相馬野馬追の出陣式を開催する神社です。
ご協力頂けると有り難いです🙇♀因みに、私は一市民です。
神社関係者ではありません。
相馬市に来て30年、花見は毎年行っています。
日本の百名城東側からの石段を上がると二宮尊徳と相馬の仕法についての説明板と銅像がありました。
朱色の橋が秋晴れに照らされて映えております。
天守跡には、藩祖を祀る相馬神社があります。
‘22年正月に相馬市に行った際に初詣として立ち寄りました。
1200年前から城として築城され、明治時代に廃城令により殆どが取り壊された後に、相馬神社と相馬中村神社が建てられて、馬陵公園として野球場などの施設も設けられ現在に至ります。
内濠や一部の石垣等が残っており、往時の中村城の様子が伺えます。
阿武隈山地から伸びる丘陵の上に築城されており、天然の急崖が擁壁として機能しており、石垣はごく僅かで、低コストで機能的に建てられた平山城です。
内濠は北側の堀幅が広くなっており、蓮池や溜池になっています。
北に隣接した伊達藩の脅威に備えたとか。
相馬市中村にある相馬氏の居城跡。
多くの例に漏れずその跡地は公的な施設に転用されている。
相馬利胤(そうま としたね)の代に小高からこの地に居城を移しているが、天守は1611年に建築されたものの、1670年に落雷で焼失。
時の4代藩主貞胤は藩政を優先し再建はされず(きっと金がなかったんだろうな)、そのまま廃藩置県をむかえた。
今ではお濠と土塁と石垣が残るのみで、天守跡には明治期になって藩祖を祀る相馬神社が建てられている。
当時の建物が無いのでそういったものを期待しているとちょっと物足りないかもしれないな。
備考までにひと月程前に起きた(2021年2月13日の福島県沖地震、相馬市中村は震度6強を記録)地震の影響で外大手門や石段のところにカラーコーンがおかれ一部立ち入り規制がされているが天守跡まではいく事はできる。
週末の散歩コースですよ👍😀桜🌸など、四季が感じられ、神社⛩️、野球場🏟️もあるので、絶好の散歩コースです👏🙏🙌
奥州相馬氏の江戸時代からの居城。
一部は公共機関の庁舎や公園などに変えられていたり、天守閣は江戸時代に燃えてもうなく本丸は神社と民家になっていたりと、現代化されている所もありますが、全体的には昔の面影を多く残しており、池の周囲池から引いた水堀と迷路のような空堀を組み合わせていたり、近所には相馬の家紋のある門があるなど、見る所は多くあります。
せめて大手門周辺の桝形虎口だけでも復元してほしいところです。
相馬中村城(そうまなかむらじょう)は、福島県相馬市中村(令制国下:陸奥国宇多郡中村)にあった日本の城。
単に中村城とも言うが、他の「中村城」と区別する際には、相馬中村城や陸奥中村城という。
戦国時代から江戸時代にかけての大名・相馬氏の居城の一つであり、江戸時代には藩主相馬氏の中村藩の藩庁であった。
馬陵城(ばりょうじょう)という別名を持つ。
中村城の歴史は古く、平安時代初期の延暦年間(800年頃)に奥州鎮撫のため坂上田村麻呂が最初に築いたとされる。
相馬氏の居城跡だが江戸時代に中村に拠点移してからのもの。
戦国時代は南相馬の小高を本拠地にしていた。
城跡としては悪くないが所々公園などになっている。
中村相馬神社は国の重文で風格あります。
守護神は野馬追が有名なだけあり馬である。
※相馬氏は度重なる伊達家の侵攻を親子2代に渡り退けた。
境内には立派な親子杉があり一際目をひきます。
公共の施設だがトイレが不足しているかも。
パンフが数カ所に置かれていて、廻りやすかったです。
昔の縄張りが大部分残っていて城好きには良いです。
本丸周辺と北三の丸等が高台になっています。
本丸上部に石垣が使われています。
土塁状の馬出、枡形が複数見られ加工しやすい地形のようです。
北三の丸との間の蓮池がだだっ広く、やはり北に備えていたことが実感出来ました。
相馬だから馬の神社⁉️って感じ。
桜は驚き👀‼️
総石垣造ではなく、かつ外郭までこれほど見事に残っている近世城郭は珍しいのでは?多用された枡形と念の入った土の虎口、東二の丸西側の技巧的な馬出し部分、地元の方々に愛されている神社が印象的でした。
とりわけ北三の丸から西三の丸へと至る箇所に設けられた枡形が美しい。
相馬中村城がこれほどの名城だったとは知りませんでした。
城好きには最高な場所です。
緑と眺めの良さに癒やされます。
新緑の季節、木々の緑と遅咲き八重桜の競演を楽しめました。
露天商も少し出てますが、空いてます。
基本神社なので、花見の宴会はしづらいでしょう。
さくら祭でした。
ほぼ満開でした。
一年前に軽く見ていますが、再び見に行きました。
しっかり見ようと歩いてたら一時間半かかっていました。
この城を見るなら大手門にある図を撮影するべき。
城跡各所に説明がありますが、簡潔過ぎて理解しにくいです。
撮影した画像を見ながら見て回ると、昔の面影がそのまま残っている事を発見出来ます。
南側だけでなく東西北も名残があります。
私が一番気になったのは崖の上に重ねられた石垣。
天然と人工がコラボした城壁です。
橋の上から見えるので誰でも見れますが、こんなに間近で見れるのは珍しいと思いました。
また、小さい城の割に堀が大きく、小さいためか水の流れも確認でき、きちんと循環されている所も見ることができました。
天守跡こそ神社しかありませんが、昔の形状が保たれた貴重な城跡だと思います。
城跡好きなら一周しても楽しめると思います。
建物は残っていませんが、堀や土塁がほとんどそのまま残っています。
パンフレットをもらって、縄張り図を見ながら散策すれば、より楽しめます。
お城を見る時は、いつも攻め方、守り方を想像するのが楽しい。
相馬宗家1602-1871年 6万石。
名前 |
相馬中村城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.soma.fukushima.jp/digital/nakamura_jouseki/4399.html |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ
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相馬氏が江戸時代に石垣造りに改修して本拠としたとされる城。
本丸周辺は石垣が見られる。
北側の三の丸等は土造りとなっている。
ここら辺は見学者も少なく薮も多いうえ本丸下は沼のようになっており注意がいる。
城の周囲の外堀がよく残されており全てを見学すると一時間以上はかかる。