この神社を知りました。
属性が火の神社ということで、お参りしました。
駐車場がなく、神社の前の道路に停めぱっと参拝したので、もっとゆっくりしたかったです。
推定樹齢600年の欅、ゴツゴツしたこぶをなでてお祈りしました。
この度家族の手術が成功し無事退院することができました。
ありがとうございました!
御祭神大己貴命,事代主神,日本武尊,稲依別王。
御由緒6代孝安天皇の御代に、近江国神崎郡千種嶽に大己貴命、事代主神を祀り後日本武尊東征の帰路近江国造の租意布多牟和気の女、布多遅能伊理比売を娶り稲依別王生まれ、景行天皇46年稲依別王御父日本武尊の神霊を大神と共に千種嶽に合祀され近江一の宮建部大明神と称し建部の氏神と定められた。
白鳳4年天武天皇の御代に稲依別王の曽孫建部連安麿神勅により栗田郡勢多に移し、称徳天皇の神護景雲2年に至り建部にある遠裔子孫その神徳を敬慕し箕作山の麓に神殿を建立し建部新宮と号し建部の荘17ヶ村の氏神として神社創立より毎年陰暦2の申に建部祭礼を営む。
境内社(摂社・末社)八幡神社 祇園神社 境外社 三堂神社滋賀県神社庁公式サイトよりーーーーーーーーーーーーーーーー有用広葉樹母樹林,ケヤキ3本 0.35ha」(立て札)樹齢300年以上。
広々とした田園地帯にある、玄妙な空気ただよう神社。
境内の前も車が通れる道があり、立ち並ぶ石灯籠と、優しく包み込むような樹木の様子は本当に心が落ち着きます。
さながらジブリ映画のようで、どこか郷愁を覚える様子でした。
仕事で滋賀の湖東地方のあちこちを回りましたが、あるとき道に迷って、たまたま行き着いたときには本当に感動しました。
こんな聖域があったのか…と。
滋賀は神社やお寺が素晴らしいですが、ものすごく好きな場所です。
夕暮れどきも何とも言えない風情があり、暗くなっても恐い感じは一切なく、不思議に感じました。
境内にはガン封じの巨木があり、存在感を放っています。
社務所に人は常駐しておられないようなので、御朱印などを求められる方は事前に問い合わせをされてはいかがでしょう。
この神社の歴史も背景も浅学にしてあまり存じ上げないのですが、お参りしての直感としては、ご祭神も眷属の方々も、とても懐の深い、いにしえの時代から人々を見続けてきたような、どっしりと腰の据わった感じの優しい方々なのではないかと感じました。
それでいて、強い威神力がある。
あくまで私個人の感覚に過ぎませんが、これからも大切にされてほしい神社です。
気持ちいい季節であれば、河辺の森駅からハイキングがてら。
近江一宮建部大社の元祖ですこのちから大津へ移られた。
大津にある建部大社の元宮っていうことなので、とても歴史が古いようですし、由緒もあります。
あまり有名でないのが不思議です。
式内社(名神大社)、近江国一宮である建部神社の元宮。
社伝では、6代孝安天皇の御代に、近江国神崎郡千種嶽(箕作山)に大己貴命、事代主神を祀った。
日本武尊東征の帰路、近江国造の租意布多牟和気の女、布多遅能伊理比売を娶り稲依別王が生まれ、景行天皇46年稲依別王御父日本武尊の神霊を大神と共に千種嶽に合祀され、近江一の宮建部大明神と称し建部の氏神と定められた。
白鳳4年天武天皇の御代に稲依別王の曽孫建部連安麿が神勅により栗田郡勢多に移したが、称徳天皇の神護景雲2年に至り建部氏子孫がその神徳を敬慕し箕作山の麓に神殿を建立し建部新宮と号した。
御祭神:日本武尊 稲依別王命 大国主大命 事代主大神。
名前 |
建部神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0748-48-4197 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.6 |
家族が癌を患い近所に癌封じの神社を探していたところ、この神社を知りました。
神社には常時人はいないのでご祈祷とかはできないです。
お賽銭をして、写真に写っているケヤキの木を触って癌封じをお祈りします。
癌封じの木は立て札のある大きなコブのある樹齢600年の欅の木ですが、実はもう一本その隣に同じ位の樹齢の木のコブの少ないケヤキの木があります。
この木は再発防止のご利益があるらしく、手術前にコブのある方を触って無事に手術が終わることを祈り、手術が終わった後は再発防止のケヤキの木を触りに行きました。
ご利益があったのか、おかげさまで後遺症もなく助かりました。
ありがとうございました。