家康も食べたと言われる柿の木が今でも残っています。
一本の桜が枝ぶり良くとても綺麗でした。
織田信孝卿の墓所と知りとても感動しました。
藤の棚田がとても綺麗なお寺。
織田信長の三男織田信孝のお墓有ります。
切腹の時に怒りながら行い。
その時の血の跡が襖に今でも残っているそうです。
本殿は非公開だそうです。
家康も食べたと言われる柿の木が今でも残っています。
歴史が深く心が静まるお寺です。
織田信長の三男、信孝の墓があります。
織田信孝と小万の墓あります。
関宿かるたふ、福藏寺 織田信孝の 眠る寺本堂内の扁額「清浄山」は覺祐の書観音堂は馬頭観音をまつり伊勢国鈴鹿郡八十八ヶ所第十八番道場門前の薬師堂には十二神将の像もあり。
とりわけこれと言って何も無いから。
地蔵院近くの織田家ゆかりの寺院。
今や観光メインストリートになっている道からは、山門が見えます。
中を歩くと清々しい香り。
2畳程の藤棚の藤が咲いてます。
思わず深呼吸したくなる爽やかな香りでした(^.^)
本堂は昭和30年台に火事で消失。
その後鉄筋コンクリートで建て替えられた。
福蔵寺の創建は天正11年(1583)、織田信長の3男織田信孝の菩提寺として開かれたのが始まりとされます。
信孝は信長が本能寺の変で倒れると豊臣秀吉と家督争いで対立し、後見人だった柴田勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れると、秀吉に組した2男織田信雄によって居城である岐阜城(岐阜県岐阜市)が取り囲われ降伏、大御堂寺で切腹し検視役だった大塚俄左衛門が福蔵寺に持ち帰り篤く葬ったと伝えられています。
境内には女性ながら亀山城下で武芸を習い、見事本懐を遂げた小万の墓が建立され亀山市指定史跡に指定されています(小万は本懐の後、関宿の山田屋に住んでいました。
享年36歳)。
又、英照皇太后が宿泊した書院(残念ながら非公開)や萩屋脇本陣から移築された門が残されています。
観光向きではない。
会津屋で満腹になったため「サクッと散策しましょうか」と独り言をつぶやきながらスタートしたら福蔵寺。
「織田信孝の眠る寺」と知ったら素通りするわけにはいきませんがね。
由緒ある寺のようだが、その佇まいはかなり新しかった。
織田信孝の菩提寺。
信孝は信長の冥福を祈るため、神戸の大塚左エ衛門長政に命じ、福蔵寺の創建に取りかかっていたが、天正11年尾張の国野間に於いて自害させられたため、長政が当山に首を持参し信孝の菩提寺とした。
名前 |
福蔵寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0595-96-0504 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
静かで良いところでした。
…が、当山は朱印をしておりません、とのことでした。