日本武尊の墓陵だと言われていますが…。
白鳥塚古墳(伝日本武尊墓所) / / / .
加佐登神社境内西南部の丘陵に位置しています。
加佐登神社さんにお参り後、見学したかったのですが時間に余裕がなく断念しました。
次の機会に行きます。
日本武尊の墓陵だと言われていますが…。
ただかなりの有力者の墓陵だということは確かだと思います。
帆立型古墳の円墳周りを一周することが出来ます。
鈴鹿川左岸、加佐登神社の境内に所在し、死後、白鳥になって飛び去ったという古代伝説の勇者、ヤマトタケルノミコトの陵の伝説を持っています。
この古墳は三重県史跡に指定され、近年の調査によって5世紀前半に築かれた帆立貝式前方後円墳であることが確認されています。
東西78メートル、南北60メートルと三重県内最大の円墳です。
ただこの場所から少し離れたところに、能褒野神社があり、こちらの方がヤマトタケルノミコトの本当の墓だという方あり、宮内庁管轄区域になっています。
個人的には白鳥塚古墳の方がいいと思います。
なによりも我が母校、白鳥中学校の名前の由来です。
ヤマトタケル(日本武尊)の古墳と言われているが明治12年に宮内省が亀山市の能褒野大塚古墳が正しいと見解を示している。
各地を戦ってきた日本武尊が奈良に帰る途中のこの地で客死したがここまで大きな古墳を当時の民は作るであろうか?という疑問が生まれる。
普通に考えれば当時この地を治めていた領主の古墳と考えた方が納得がいく。
能褒野の古墳の方がシンプルである。
日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)を祭神とする加佐登神社の北西にある白鳥塚古墳は命の墓といわれ、その霊が白鳥となって飛び去ったという伝説が残されている。
加佐登神社のついでなら行ってもおkかな~
名前 |
白鳥塚古墳(伝日本武尊墓所) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/bunkazai/da/daItemDetail?mngnum=730791&pageCur=3 |
評価 |
3.5 |
伊吹山でイノシシの神に敗れたヤマトタケルは能褒野の地で亡くなったが、その能褒野、ヤマトタケルのお墓と云われる古墳は何箇所かあるが国学者の平田篤胤や本居宣長はここ白鳥塚古墳が能褒野墓であると見ていた。
明治時代に南西にある王塚古墳が能褒野墓であると宮内省に指定された。