入り口の階段が個性があっていいですね。
今も当時の天守が残る貴重なお城。
天守に上がるには場内でロープを使わなければならない程の急な階段を登る必要があります。
天守からの景色は見晴らしが良く気持ち良いです。
現存12天守の一つ。
高台にあるので下の駐車場に停めました。
歩いて5分ぐらい。
丸岡城です。
地震の影響はなかったようです。
3階建てで福井を一望できます。
階段はめちゃくちゃ急であり高齢な方やお子さんは気をつけてください。
ロープがあるので掴んで登ったほうがいいです。
🏯 万人受けする城でもなく、また万人を寄せ付けないお城です(笑)。
3階建ての内部は特にこれと言った展示物はなく、「がらんどう」な感じです。
雰囲気はありますが、観光化された城郭をイメージされている方は肩透かしを喰らうでしょう。
ここが万人受けしないと思う点です。
万人を寄せ付けない理由は、階段。
いや、ほぼハシゴ🪜です。
垂れ下がっているロープを併用しない、と安全に上がれません。
🧗♀まさに「攀じ登る」作業になります。
この作業に難がある方は、天守閣からの眺望を得ることはできないでしょう。
ただ、この城のこじんまりとしてて、無骨かつ質実剛健な佇まいが好きです。
(無駄な装飾が無い感じが)平山城なので、古き良き雰囲気を残す城下町のどこからでも天守閣が見えます。
この街で育った人は故郷を思い出すたび、その情景には丸岡城の天守閣がいつも在ることでしょうね。
⛄雪化粧した天守閣は、また格別だろうなぁ。
駐車場無料。
入城料450円。
駐車場に売店カフェあり。
こじんまりしたお城ですが、お城の中の階段は、ロープを掴んで昇る。
急勾配すぎで、段の幅も狭く、段差がものすごくあり、どこの城の階段よりもすごかったです。
鬼瓦も石ではじめてみたかも。
年代を感じました。
入り口の階段が個性があっていいですね。
中の階段は物凄い急勾配で昇り降りしんどい。
敷地内は綺麗に除草されてますが、蚊が多いので注意。
日本100名城36番。
現存12天守の一つ。
現存だが1948年の福井地震で倒壊しており、残った建材で復元した天守閣らしい。
駐車場はお城の北側の一筆啓上茶屋の前にあり無料。
入場料は、歴史民俗資料館、一筆啓上日本一短い手紙の館共通入場券で大人¥450だった。
現存天守だけあって、縄を掴んで登らないと登れないほど階段が急。
女性は動きやすい格好で行く事をオススメします。
堀や城下町などの遺構はほぼなく天守閣のみなので、本格的な城好きの方にはは少し物足りないかもしれない。
それでも野面積みの石垣の上の石瓦の天守閣は美しく、一度見る価値はあると思う。
小さいながらも現存天守閣の重みを感じさせる濃厚な遺構です。
ザ・本物の城。
月曜朝に伺ったところ、貸し切り状態でした。
お城のすぐ近くでも車を停められます。
以前から行ってみたかったお城の一つ。
福井駅でロッカーに荷物を預け、駅前のバスターミナル1番乗り場から、39大和田丸岡線の丸岡城行きに約1時間乗車(690円)して、お城前のバス停に到着。
入場券売り場で購入(大人450円)しました。
丸岡城、歴史民俗資料館、一筆啓上日本一短い手紙の館共通入場券となります。
チケットにはしおりもついてました。
まずは階段を少し登ると、すぐにお城の全貌が姿を現します。
素朴ですが味わいのある表情です。
石垣の前にある石碑に「一筆啓上の手紙文」が書かれています。
急な石段を登って城内へ。
2階は1階からの通し柱がない構造。
破風の窓から外が見られます。
天守閣へはさらに急な階段を登ります。
四方が見渡せるので、順に回ってみました。
平章小学校がすぐ前に見える方向が北側になります。
日本最古の現存天守と言われていましたが・・・、最近の調査で違うと判明したことが、説明板に書かれていました。
でも古風な佇まいである事に変わりありません。
外に出て、城の周りを一周しましたが、角の石垣はガッチリ組まれてます。
裏側から回って下り、城の下にある歴史民族資料館に寄って帰りました。
観光会館の駐車場(40~50台は停められるか?)に車を停めた。
駐車場から天守閣まで、歩いて5分ほど。
天守閣の入場料は450円。入場料を払うと「布のしおり」のついた入場券をくれる。
今まで、どこの観光地や博物館でも見たことのない、ちょっとお得な感じの入場券。
けっこうな数の石段を上って、天守閣の入口に立つ。
先ほどのしおり付きの入場券を係員さんに見せて天守閣の中に入った。
天守閣は3階建て。
階を上がるのには階段を使うが、かなりの急な角度なので階段というより梯子(はしご)に近い。
そのままでは上るのに支障があるのか、上の方から太い縄が釣り下げられているので、それにつかまりながら階段を上った。
1F→2F、2F→3F、同様の縄があった。
天守の一番上の階からは四方を眺めることができる。
広さは……20畳くらいか?よくある一軒家の住宅のリビングと同じくらい。
この城は元々は、柴田勝家が甥(おい)の勝豊(かつとよ)に構えさせた豊原城。
そこから丸岡に移って建てたのが丸岡城とのこと。
国宝だった当時の丸岡城は昭和23年の福井大震災で倒壊。
現在の建物はその後、修復・再建されたものだそうで、もう一度、国宝の指定を受けようと地元をあげてがんばっている感じでした。
祈!国宝指定。
がんばれ丸岡城!丸岡の皆さん!
お財布に優しいお城。
駐車場無料。
大人450円小中学生150円で素敵なしおりが付いてきます。
駐車場から坂道を歩いて3分程で到着。
小ぶりながら豪快な梁組が見られます。
外広場には「人柱お静」の慰霊碑が有り説明を読むと切ない気持ちになります。
話題のドラマ『テセウスの船』『テセウスの船』はパラドックスの1つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。
ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言える(同一性=アイデンティティ)のか、という問題である。
以下テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。
このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。
すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。
『全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。
』また、ここから派生する問題として置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのかという疑問が生じる。
ということで前置きが長かったですが。
テセウスの船にならなかった城のお話丸岡城天守は国指定重要文化財に指定される現存天守ですが。
この丸岡城天守は昭和時代に福井地震(昭和23年6月28日)で倒壊し、その後オリジナル部材の70%を利用し再建されました。
もしこの時に全て新しい材料で再建された場合、現存天守とは言えず国指定重要文化財とはならなかったかもしれません。
オリジナルの部材が残っていたのでよかった例です。
ただもし全ての部材が長い年月をかけて、修復を繰り返して全て新しいものに置き換えられたら、まさにテセウスのパラドックスです。
素晴らしい城です。
ボランティアの案内人もいます。
しかし混雑時にはスリッパに履き替えて天守までの階段は大変だと思います。
無理して登った高齢の観光客達が怖くて降りれず難儀してました。
入場券は資料館なども共通で見学できます。
栞の付いたお洒落な入場券です。
木造の渋い落ち着きのある素晴らしいお城でした。
ただただ!靴を脱いでスリッパに履き替える事にビックリでした。
平日で空いてたから何とか階段を上がれたものの、あれで真後ろに知らない人がすぐ下から追いかけて来てたらスリッパ脱げて顔に落としちゃいそう笑天守閣に上がる2つ目の階段の急角度はロフト並💦結構お城行きましたが手摺りの所にロープまであって急階段のすごさを実感。
頑張って上がりきった後の天守閣の小窓から眺める丸岡市の街も達成感で風が心地良くて最高です。
日本に現存する12の天守閣の中で一番古いものとのこと。
それを実感できる雰囲気と質感があります。
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ が日本一短い手紙ということで、それに因んだコンテストがあり、天守閣に向かう階段の下に入賞作が掲示されています。
この時は「先生へ」がお題。
かわいい手紙や笑ってしまうものが色々ありました。
10年以上前に行きました。
父親から、ご先祖様がこの城の藩主に仕えていて、随分立派な城だと聞いていたのですが、実際行って見たら、小さくてびっくりしました。
サイズ的には、2階建ての住宅と変わらないか、それよりやや大きくガッチリした造りだったような…(笑)。
天守に上がると、これまたビックリ‼️4畳半もなかったような狭さで、こんな狭い場所で何ができたのだろう…と(笑)。
また階段の踏み板の奥行?や、幅いが狭い上、1段1段が高く、お城ではなく、田舎の納屋の屋根裏に上がるような階段でした。
でも木の厚さは結構な厚みだったような…。
看板みたいなのに、息子を武士に取り立ててもらう為に人柱となった女性がいた事や、霞ヶ城と呼ばれていた事も書いてありました。
外観的な小ささにビックリし、中の狭さにもビックリ‼️ ダブルでビックリでした(笑)。
ディスってばかりじゃ ご先祖様に申し訳ないですが、事実です(笑)。
ご先祖様は近くの高岳寺にはいってます。
丸岡城に縁のある方も祀られてますので、丸岡城に行かれた方は、高岳寺にも是非寄られて下さい‼️
丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。
戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。
丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。
*坂井市丸岡観光協会公式サイトより一部抜粋また、園内には400本のソメイヨシノが植えられ、日本のさくら名所100選に認定されており、4月には城下で丸岡城桜まつりが行われます。
丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。
丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。
外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。
柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わったが、本多氏は4代で改易。
元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続きました。
別名「霞ヶ城」の名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説があります。
他にはない石瓦のお城。
城内の階段は、現存天守の中で1番急角度!因みに、2番目は松本城で、3番目は姫路城。
只今冬に備え雪吊り真っ只中です~(^-^) この時期ならではの素晴らしいお庭をご覧下さい。
とてもきれいに手入れのされたお城と、お庭がなんとも気持ち良いです。
ここのお城が面白いのは、梯子を伝わないと上の階に行けないことで、若干の子供心がくすぶられます。
また、城全体の模型があり、その中に忍者が数体隠れていて、全部探し出すのに結構はまります。
よその子供と協力しても30分程度かかりました。
ここの天守閣、規模が小さい割に柱の数が多くてしかも太い。
石の瓦の重量に耐えるためらしい。
姫路城など他の城のように各階を繋ぐ通し柱がないのが特徴。
壊れてもすぐに修理できるように、あえてそういう構造にしてあるとの事。
(ボランティアガイドの方から聞いた)実際、戦後間もなく大地震で倒壊したが、見事に修復された。
昔の大工の知恵に感心、感動しました。
名前 |
丸岡城 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0776-66-0303 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
【 2024/06/10(月)入城 】北陸旅の2日目、福井県立恐竜博物館→永平寺と巡った後に訪れたので、最終入城時間16:30ギリギリに到着し、なんとか天守内に入れました😅💦国指定重要文化財の「丸岡城(Maruoka Castle)」は、別名「霧ヶ城」と呼ばれ、北陸地方唯一の築城当時から天守🏯が残る城(現存天守の一つ)です。
大きな入母屋造りの一重部分の上に小さな望楼(ぼうろう)を置いた二重構造で、ゴツゴツとした野面積み(のづらづみ)の石垣(高さ約6.2m)の上にそびえる板張りの天守🏯。
その武骨(ぶこつ)な出で立ちから「古武士のような佇まい」と称されているそうです。
※野面積み(のづらづみ)は隙間が多く粗雑な印象ながら排水が良く、大雨によって崩れる心配がないといわれています。
戦国時代の天正4年(1576)、織田信長の家臣、柴田勝家の甥(おい)で養子となった柴田勝豊(しばた かつとよ)が築城。
信長は丸岡城を北陸地方の抵抗勢力を抑える最前線基地と考えた為、華麗な装飾はなく、戦いを強く意識した城になったそう。
どことなく力強さを感じさせる黒い板張りの壁面には、四角い狭間(さま)と突き上げ戸のついた格子窓(こうしまど)。
迫りくる敵をここから睨み付けます。
石垣を登る敵に上から攻撃を加える石落としは木製のもの。
天守台石垣と天守の間に板張りの腰庇(こしびさし)が造られているのも丸岡城ならではの大きな特徴です。
石垣を積む技術がそれほど発達していなかった時代、天守🏯を安定させるには天守台よりも一回り小さな寸法で建てる必要がありました。
天守と石垣の間の隙間に雨水などが入り込まないように腰庇が付けられたといわれています。
丸岡城最大の特徴は屋根で、石を瓦の形に加工した石瓦(いしがわら)が使われています。
瓦を使用しなかった理由は、雪で瓦が割れてしまう為、瓦を焼く費用を抑えたなど、諸説あるそうです。
天守に使用されている石瓦は1枚約20kgあり、約6,000枚使われているので総重量は約120トンになります。
現在の丸岡城天守🏯は、2019年の学術調査により、江戸時代の寛永年間(1624-1644)に建てられたことが判明したそうです。
丸岡城天守は昭和23年の福井地震により石垣もろとも完全に倒壊しましたが、天井の材料や石垣などの主要部材の多くを再利用して、昭和30年に修復修理されたとのこと。
丸岡城から車でおよそ30分、日本海の海岸に幕末に築かれた砲台跡「丸岡藩砲台跡」があります。
当時、海上にロシア艦隊がしばしば姿を見せていたことから、危機感を抱いて設置されたものだそうです。
藩主自ら大砲の技術を学んでいたそうで、丸岡城築城から300年後に造られた外敵に対する備え。
この場所も、戦う城の一部といえるのかもしれません。
自分は時間が無くて行けませんでしたが、時間&興味のある方は是非、訪れてみて下さい❗️丸岡城の入城料金は大人¥450 、小人¥150で、営業時間は8:30〜17:00(※最終入城は16:30までなので注意して下さい❗️⚠️)、年中無休です。
ちなみに、「霞ヶ城」という別名は、敵が攻撃をしかけてくると、井戸の中から大蛇🐍が現れ、城に「かすみ」をかけて城の危機を救ったという伝説があり、それが別名「霞ヶ城」と呼ばれる所以(ゆえん)とのことです。
天守🏯近くにその井戸があり、井戸の前の立看板にそう書かれてありました✏️あと、天守内の階段には手すりやロープはあるものの、ハシゴ🪜を上り下りするような急な階段なので足を踏み外さないように気を付けて下さい😅💦また、女性はミニスカートは避けたほうが良いかもしれません。
それはどこの天守🏯も同じですが😅💦