荼枳尼天が道案内をしてくれたことを感謝した。
かなり分かりづらいとこにあります。
残っているのはご近所さんのおかげかな。
地域の文化財は地域できちんと活用できるようにしないと。
斜めになっている道路向かいの案内板の整備。
鬱蒼としている周りの木々の選定。
お隣さんとの目線が合わないように木々を植える。
神社らしい参道の整備。
もっと魅力的になると思います。
参勤交代の会津藩が洪水の川を渡れずに途方に暮れると、荼枳尼天が道案内をしてくれたことを感謝した。
名前 |
会津見送り稲荷 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kuki.lg.jp/smph/miryoku/rekishi_bunkazai/bunkazai/shiseki/miokuri.html |
評価 |
4.5 |
かつてはこの辺りの日光街道沿いには8軒程の茶屋があり、中でも「粟餅屋」は名物店として知られていました。
今はありませが、往時の店を営んでいた柿沼家の庭先には、「会津見送り稲荷」が鎮座しています。
以下、説明版より。
江戸時代、徳川幕府が参勤交代制をとっていたころ、会津藩の武士が藩主江戸参向に先立ち、先遣隊として江戸へ書面を届けるため この街道を栗橋宿下河原まで来たところ、地水のため通行できず、街道がどこかわからずたいへん困っていると、突然白髪の老人が現れて道案内をしてくれた。
お蔭で武士は無事に江戸へ着き、大事な役目をはたせた、という。
また、一説には、この地で道が通行できずに大いにあせり、そのうえ大事な物を忘れたことに気がつき、困りはてたすえ、死を決意した時、この老人が現われ藩士に死を思い止まらせた、ともいわれている。
のちになって、この老人は狐の化身とわかり稲荷様として祭ったものである。
当時の利根川の渡川は命懸けだったでしょうね。