名前 |
弘正寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
弘正寺跡弘正寺(こうしょうじ)は伊勢國度會郡(三重県伊勢市楠部町)にあった南都仏教・真言宗の寺院。
真言律宗西大寺流。
廃絶。
伊勢神宮の本地仏である金胎大日如来を奉斎したという。
叡尊旧跡伊勢神宮関連旧跡関東祈祷所興正寺山号は神護山楠部町の伊勢農協あたりが跡地とされる。
西大寺中興で西大寺流開祖の叡尊(えいそん)は1280年3月、門弟100人余りを率いて伊勢神宮に参拝し、蒙古退散を祈願。
叡尊の神宮参詣は3回目だった。
この時、一堂を建てたのが弘正寺の起源で、高弟宣瑜(1240-1325、西大寺長老3世)が住職となった。
弘正寺は興正寺とも書かれることもあり、名称は叡尊の諡号である「興正菩薩」に由来するのかもしれない。
永仁6年(1298)、忍性の請願で認められた関東祈祷所34寺の一つ。
伊勢における西大寺末の筆頭だった。
伊勢市久世戸町この地から西北西1.1km「清丸稲荷神社」にある高さ3.4mの大型の五輪塔(「大五輪(おおごり)の五輪塔」、「楠部五輪塔」)は弘正寺の管轄にあったもので、叡尊の墓塔である可能性が指摘されている。