原田氏は著名な実業家なのだそうですね。
実業家原田二郎氏の旧宅ですが、元は武家屋敷なので実業家の屋敷にしては無骨な印象を受けます公開している古い住宅は多々ありますが、二階に上がって見学できる所は少なく貴重だと思いますお庭とのバランスもよく素敵なお屋敷です入場時に長谷川家・小津家との共通入館券の案内をしていただけていたら星5でした(三館共通入館券があるので利用すると良いですよ)
実業家として知られる、原田二郎の旧宅です。
旧長谷川家、旧小津家との3館共通入館券(570円)を購入するとお得です。
2階に上がる階段がかなりの傾斜で、狭いので、お気を付け下さい。
実業家であった原田二郎氏の住んでいた立派な武家屋敷です。
綺麗な庭園に落ち着きのある室内。
感銘を受けました。
無料で楽しめます。
窓が趣向が凝らされていて、紅葉がきれいでした。
ただし、階段がかなり急なので、ご注意を。
いつまでも後世に残したいですね。
縁側に座ってボーっとできるのが、良いです。
静かで落ち着ける場所です。
武家屋敷の雰囲気を味わうことができました。
2021年6月中旬に訪問。
写真にあるように、一応駐車場もあるが松阪観光ならば松阪市駐車場(松阪城横にある無料駐車場)に駐めて、10分ほど歩いてくるのが良いだろう。
大隈重信から贈られた座布団が置いてあってビックリした。
2階が書斎になっており、見晴らしの良い落ち着いた部屋で良かった👍
御城番屋敷の近くにある武家屋敷です。
小ぢんまりとしていますが、趣のある良い建物です。
無料で入館できます。
実業家として活躍した原田氏に関する展示もされています。
松阪城東南500mにあり、
初めて知ったが、素晴らしい偉人!!!
懐かしくあたたかく、心鎮まります。
管理の方がとても丁寧に説明して頂けたので、とても楽しめました。
正方形の間取りの武家屋敷を増築したお屋敷。
二階も増築後にできたそうです。
二階の雰囲気やばいですよ? 雨が降ってたので二割増しくらいで惚れました。
静かな場所。
窓からは木々の緑。
ここでデスクワークしたくなりました。
階段は急なので気をつけてくださいね。
月曜休館で、火曜日に行ったのですが前日の月曜日が祝日で営業していたので、振替休館で火曜日が休みでした。
皆さんも祝日が月曜日の時は注意してください。
古き良きお宅🎵
実業家であり財団法人原田積善会の創設者である原田二郎の生家です。
原田積善会は社会公益事業に対して支援を行う助成団体なのですが、その設立にあたり、原田さんは3500年(!)の長期にわたって自己資金による支援が可能な方法を提案したそうです。
一体どんな方法なのでしょうか?原田さんは実業家ですが、今の日本にもこのような政治家が出てほしいですね。
そうすれば日本もカタールのような無税国家になれるかもしれません。
ところでこの近辺はかつては同心町と呼ばれていて、城に詰める同心が住んでいました。
そのためこの原田二郎旧宅もそうですが、昔の武家屋敷の風情をよく残しています。
このような場所は全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。
入館無料の武家屋敷の資料館です。
御城番屋敷のすぐ近くにあるので、そこまで来られたらこちらに来ても損はありません。
原田二郎さんは大蔵省に務め、なんと31歳で国立銀行の頭取になられた方ですが、質素倹約に勤められたそうで、邸宅は驚くほどの豪華さはありません。
お庭もこじんまりとしています。
ですが、松阪の町の発展のため尽力を尽くされたことがとてもよく分かる資料館になっています。
なかでも、小学校に寄付をされ、それを基に給食制度が整備された話には驚きました。
福祉発祥の場所。
明治の篤志家原田次郎の生家。
原田二郎の功績を述べると、公益財団法人原田積善会は故原田二郎が大正9年7月に全資産を拠出して設立した社会公益事業に対する助成団体である。
当時は明治維新後約半世紀を経過し、先進諸国に追い付こうと懸命に努めてきたわが国にも当然のこと乍ら、いろいろな社会的な歪みが目立つようになってきた。
米騒動や労働争議の頻発、貧富の格差の急激な拡大などがこれである。
しかし一方で国や地方公共団体にあっては社会福祉事業に対する制度は整備されておらず、また予算も今日とは比較にならないほど少額であった。
こうした状況下で原田二郎は「国家及び社会の公益事業につき奨励すべきもの、助成すべきものに対し、必要な経費の一部を支弁する」として財団の設立を企画した。
当時にあっては比肩出来ない程の巨額な資金(現在の貨幣価値でみれば150億円程度)を拠出しこのような事業に踏み出す決意は、当時の首相 原 敬や社会政策に理解のある内務大臣床次竹二郎の全面的な支持・賛同を得て、財団は申請からわずか12日間で内務大臣から設立の許可をうけている。
この財団にはいくつかの特色がある。 財団の助成資金はすべてその保有する資産の運用から生じた果実をもってあて、国・地方公共団体・企業等からの支援には一切依存してこなかったこと。
財団は長期にわたり成長・発展することを前提としておりこのために格段の努力を続けてきたこと。
創設以来、大正、昭和初期、戦後を通じて常に時代の要請に応えるだけでなく、しばしばその動きを先取りする形で先駆的かつ継続的な助成を行なうよう努めてきたこと。
設立理由書には「中産階級の中で災害等にあったり、何らかの理由で困窮した人々を救済する」(意訳)ことを特に挙げている。
このことは文化・教育・経済の担い手としての中産階級の存在が、社会安定のために極めて重要であるとの認識であり、この点は設立以来いささかも変化していないこと。
すべて助成を自己努力によって生み出された資金による必要上、設立以来常に積極的かつ効率的な資産運用に努めてきたこと。
この結果、戦争による混乱、戦後の大インフレーション、更には最近十余年にわたりバブルやその後のデフレ、超低金利など苦難の途にあってもとぎれることなく一定額以上の助成を継続してきたこと。
明治の篤志家原田次郎の生家。
原田二郎の功績を述べると、公益財団法人原田積善会は故原田二郎が大正9年7月に全資産を拠出して設立した社会公益事業に対する助成団体である。
当時は明治維新後約半世紀を経過し、先進諸国に追い付こうと懸命に努めてきたわが国にも当然のこと乍ら、いろいろな社会的な歪みが目立つようになってきた。
米騒動や労働争議の頻発、貧富の格差の急激な拡大などがこれである。
しかし一方で国や地方公共団体にあっては社会福祉事業に対する制度は整備されておらず、また予算も今日とは比較にならないほど少額であった。
こうした状況下で原田二郎は「国家及び社会の公益事業につき奨励すべきもの、助成すべきものに対し、必要な経費の一部を支弁する」として財団の設立を企画した。
当時にあっては比肩出来ない程の巨額な資金(現在の貨幣価値でみれば150億円程度)を拠出しこのような事業に踏み出す決意は、当時の首相 原 敬や社会政策に理解のある内務大臣床次竹二郎の全面的な支持・賛同を得て、財団は申請からわずか12日間で内務大臣から設立の許可をうけている。
この財団にはいくつかの特色がある。 財団の助成資金はすべてその保有する資産の運用から生じた果実をもってあて、国・地方公共団体・企業等からの支援には一切依存してこなかったこと。
財団は長期にわたり成長・発展することを前提としておりこのために格段の努力を続けてきたこと。
創設以来、大正、昭和初期、戦後を通じて常に時代の要請に応えるだけでなく、しばしばその動きを先取りする形で先駆的かつ継続的な助成を行なうよう努めてきたこと。
設立理由書には「中産階級の中で災害等にあったり、何らかの理由で困窮した人々を救済する」(意訳)ことを特に挙げている。
このことは文化・教育・経済の担い手としての中産階級の存在が、社会安定のために極めて重要であるとの認識であり、この点は設立以来いささかも変化していないこと。
すべて助成を自己努力によって生み出された資金による必要上、設立以来常に積極的かつ効率的な資産運用に努めてきたこと。
この結果、戦争による混乱、戦後の大インフレーション、更には最近十余年にわたりバブルやその後のデフレ、超低金利など苦難の途にあってもとぎれることなく一定額以上の助成を継続してきたこと。
なかなか素晴らしい人物です‼
実業家・原田二郎氏が生まれ育った、殿町同心町に残る江戸時代末期の武家屋敷です。
きれいに保存されています、入館料無料です。
名前 |
原田二郎旧宅 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0598-23-1656 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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原田氏は著名な実業家なのだそうですね。
若くして横浜銀行の頭取となったり、他の銀行の再建をも手掛けたり、様々な公益事業を助成されるなどのご活躍だったそうです。
松阪では武家屋敷を改築したこちらに住まわれたとの事ですが、決して大きな家ではありませんよね。
我が身より社会に貢献された立派なお方だったのだろうと想像できます。
····ちなみに以前は無料開放されてたみたいですね?まぁ入館料百円は格安ですが····。
周辺の殿町も、松阪城へと続く御城番屋敷も見事な生垣通りとなっており、とても見応えがあります。