松尾芭蕉の句碑が残る坂道の史跡です。
少々急な坂が数百メートル続きます。
この坂と日本武尊命の伝承、三重という地名の由来など、坂の途中にある「うつべ町かど博物館」でボランティアの方から伺うことができます。
三重県の名前の由来になった場所。
倭建命が故郷の大和に帰ろうとして伊勢国に入り、亀山に向かう途中で伊吹山の神の毒がまわり「吾が足三重の勾(まがり)の如くしていと疲れたり」と言ったとあり、これが三重郡の名前の由来。
このとき瀕死の倭建命が剣を杖代わりにして登ったことから杖衝坂と名付けられたという。
「三重の勾」とは、リボンのような形をした三重になった勾餅のこと(写真参照)で、餅をあげることでカチカチになった勾餅のようなカチカチの足(=足がむくんでしまった)になってしまった、という意味。
「うつべ町かど博物館」に勾餅の見本が展示してあります。
日本武尊が東国を平定し大和に帰る際、伊吹山の神の祟りを受け、満身創痍状態で杖をつきながら登ったので、この坂は「杖衝坂」と名づけられました。
その際に日本武尊は「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言いったことから、この地を「三重」と言うようになったとも伝えられています。
三重郡の由来って、ここからきたんですね!
テレビで見てどんなもんかと見に行ってみました想像以上の急坂でびっくりしました。
東海道の要所。
急坂歩くと少し昔の旅気分が味わえます。
駐車場がないので注意です。
三重県の名前の由来の場所です。
日本武尊が急坂を杖をついてようやく登れたので、その坂を「杖衝坂」と言ったということです。
さらに、日本武尊が少し進んだとき、「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言い、その地を「三重」と言うようになり三重郡の由来です。
そこから三重県となりました。
また、江戸時代に松尾芭蕉は馬から落ちてそのことを歌にしました。
勾配が急だとアスファルト舗装が出来ないのでコンクリート舗装で滑り止めの丸いドーナツ状の輪っかが路面にあります。
私はその坂を自転車で登りたくて来ましたが、雨上がりの為、タイヤが等間隔にある石敷きで滑り焦りました。
悠久の歴史ロマン。
直ぐ側のまちかど博物館も。
伊吹の荒ぶる神に傷つけられた日本武尊が、この坂に差し掛かるとあまりの急坂であったので剣を杖としたので杖衝坂と言う。
あまりの疲労に足が「三重のように曲がった」と歌って、三重の地名ができた。
坂上で腰を下ろした時に尊の血の付いた石を寄せ集めた「血塚社」があります。
江戸時代貞享4(1687)年に芭蕉翁がここを馬でを通過した時に、鞍もろともずり落ちて一句『歩行ならば 杖つき坂を 落馬かな』宝暦6(1756)年に村田鵤州が碑を建てています。
隣に文化8年の永代常夜燈がありますまた弘法の井戸、大日の井戸があります。
史蹟杖衡坂石標もあり。
坂道が好きなので、自転車で坂を堪能しました。
歴史のロマンにも触れて大満足でした。
ちなみに、坂の上は、坂上さんばかりでもなかったです。
日本武尊が東征から大和に戻られる際に、難儀して登られたと伝わる急坂。
江戸時代には松尾芭蕉翁が落馬したという逸話もある。
旧東海道五十三次の難所の急坂です。
かつて松尾芭蕉も馬に乗って越えるとき坂が急で馬から落ちてしまったとの話しがあるそうです。
旧東海道沿いです。
素晴らしい場所でした。
見晴らしが良くて山中胃腸科も見えました。
皆様沢山の人に見てもらいたい地元のいい場所です。
すごい急な坂だけどバイクで行くと意外とあっさり抜けられて拍子抜け思ってたより坂も短いし歩きなら相当大変だけど車やバイクがある現代人なら問題にならないねヤマトタケルもびっくり。
旧東海道の風情ある集落にあります。
日本伝承大鑑によると、伊吹山で山の神を侮ったために病に倒れた日本武尊は、養生しつつも疲れ切った身体で大和国を目指して歩を進めていた。
やがて伊勢国に入ると、急な坂にさしかかり、杖を突きながら登り切った。
この時、日本武尊は「吾が足は三重の勾がりの如くして、はなはだ疲れたり(私の足は三重に折れ曲がったようになって非常に疲れた)」といったそうです。
この坂は後に「杖衝坂」と呼ばれ、旧東海道でも有名な急坂として知られるようになった。
そしてこの近辺は日本武尊の言葉から「三重郡」と呼ばれることとなり、現在の三重県の由来となっているそうです。
ホンマにしんどかった……そりゃ杖つきたくなりますわな。
大変急な坂道ですが、東海道の歴史の一つです。
松尾芭蕉の句がある勾配の急な坂で、車でもかなり力を必要とします。
石畳の坂の上には坂上姓が多いです。
ヤマトタケルノミコト松尾芭蕉が歩いた路です♯(^ー^)古代路三重野色は道かな。
白鳥塚にいって見たら某かるかも、
四日市側から車でここまで来てが、怖くなって引き返した。
「歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」(松尾芭蕉/笈の小文)芭蕉の句碑がある。
いろいろ曰く付きの坂なようです。
坂にも歴史がある。
旧東海道の、意外と難所な急な坂。
江戸からくると、そりゃ松尾芭蕉もこけそうになるほどの坂道。
でも周りは木々に囲まれて、雰囲気はよろしい。
西からくると、さほど急ではないけれど、下るときに注意。
四日市市采女町の旧東海道に〔杖衝坂〕と呼ばれる急坂がある。
友人から仕事の途中に〔芭蕉句碑〕を見たと写真を送ってきた。
この〔杖衝坂〕を通過するのに苦労した歴史上の有名人が二人いる。
1)日本武尊(ヤマトタケル) - 伊吹山の神との闘いで疲れ果て、ここにたどり着いたときには杖を衝かなくては歩けないほどだった。
彼は、ここで采女に介抱されたが、このことから〔采女町〕、〔杖衝坂〕の名前ができた。
日本武尊は能褒野で亡くなった(庄野宿に〔白鳥塚古墳〕がある)2)松尾芭蕉 - 貞享4年(1687)、故郷伊賀に戻る途中、ここで馬から落ちた。
そこで詠まれた句が、 歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな〔杖衝坂の碑〕のそばに句碑が立っている。
この句は〔季語〕のない〔無季句〕。
(東海道の芭蕉句碑 ⇒ 石薬師町 石薬師寺)
旧東海道の杖衝坂は、古事記に記された日本武尊の東征伝承や、松尾芭蕉の句碑が残る坂道の史跡です。
名前 |
杖衝坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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三重県四日市市 杖衝坂さんを、2024年10月26日(土曜日)に初めて訪れました。
日本武尊(やまとたける)さんが、日本平定の際に、当地にていただきます😖💦たいへん脚に痛みを感じて、休まれた場所だそうです。
グーグルマップさんを見ていて、コメントから、今回初めて訪れました😆日本の歴史や治安の良さを感じました。
先祖を敬う気持ちを感じました。
また立ち寄りたいと思います🍀