土塁などなど見所かなりボリュームある嬉しい城跡(*...
遺構もしっかり残っていて、一の曲輪まで行くまでの道も、めちゃめちゃ整備されています。
一の曲輪には、野外学習もできるようなスペースも用意されていました。
山城好きな方にはおすすめの典型的な山城かと思います。
縄張りもそれほど広いわけではなく、隅々まで堪能することができます。
ただ、山城だけに虫も多く、ピクニックには向かないかと。
パンフレットボックスにはパンフレットはなく、ノートには青虫が入っていました。
ここに籠城するのは、現代人には至難の技だということも、春先以降に行けば体感できると思います。
小さいながらも山城の魅力が詰まったお城です!整備もよくされていて見学しやすいかと思います。
織田の重臣滝川一益の軍に攻められあえなく落城してしまったそうです。
城内には井戸がありますが、ありがちな伝承として落城時城主の妻が嘆きながらこの井戸に身を投げ、以降井戸からは泣き声が聞こえてくるようになったとか。
三重県四日市市に在る戦国時代遺跡の采女城跡。
見事な空堀、土塁、井戸跡などが見れる。
兵どもが夢の跡!
散歩するには良いね。
采女城跡北伊勢の国衆後藤基秀が分応元年 (1260 年 ) に築城し、以後300年間にわたって支配をしていました。
織田信長の伊勢侵攻で永禄 11 年 (1568 年 ) に落城します。
城跡は比高30~50mの小高い丘陵地に郭を9つ持った平山城を形成しています。
石垣はないものの土塁や空堀などで区切られており、中世山城の特徴を残しています。
入り口や本丸には案内看板が設置され、散策しやすように梯子橋も設けられています。
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山城風ですが、標高は高くなく登るのは楽。
山城的な遺構は充実していて、特に空堀(プラス土橋)が大きい。
本丸や各郭は広く、永禄年間とかになると、有力戦国大名でなくともこの規模の城を持てるのでしょうか。
ちなみにこの辺りは南近江との関係が深く、六角氏や蒲生氏の影響も受けている。
非常に良く整備された城跡。
登城口から気軽に登れるので初心者の方々からベテランの方までおすすめ。
雨降り後に登城したけど整備されてて楽々散策できたm(__)m食い違い虎口、堀切、土塁などなど見所かなりボリュームある嬉しい城跡(*´∀`)♪曲輪を区切る堀跡が深く大きい。
これぞ戦国遺構って気がする♪
主郭から北に並ぶ二、三の郭の堀、土塁が見ごたえあり。
堀切、土塁、虎口など遺構がよく残る。
保存会の方に感謝。
一部区間でしたが雑草がかぶさってきていて、蜘蛛の巣を払いながらの歩行で、一人歩きには心細い道でした冒険心が沸き起こりました。
9の郭以外は全て確認済みです。
郭跡など多数残り当時の様子がよく伺える。
以前から、有志の手で整備されていましたが、最近市民緑地になりより散策道がよくなりました。
特に足場は橋や足場、手摺がかけられて歩き易くなっています。
稜線伝いに南部丘陵公園へ行けますが道中少し道がわかりにくくなっています。
アクセス面では駐車場が城跡入り口には無いので、南部丘陵公園から止めていくのが無難です。
案内看板や、目印のリボンが結んであるので辿っていけば行けます。
文治年中(1180年代)、伊勢平氏の後藤兵衛基清が城を築いたのが始まりという。
以来、15代後藤采女正藤勝の時、織田信長の臣滝川一益の攻撃で永禄11年(1568)に落城した。
城主藤勝は討ち死にし、娘の千奈美姫も主郭の深井戸に身を投げたという。
複雑な丘陵地形の尾根筋に9の郭がある連郭式の山城(標高70m/比高50m)で、規模・良好な保存状態から第一級の戦国時代の山城であるといわれている。
せいびされてて歩きやすい。
城跡の南側が登城口。
名前 |
釆女城址 |
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ジャンル |
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電話番号 |
059-357-0381 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.utsube.jp/tiikinodantai/dantai/siroatohozonkai/siroatohozonkai.html |
評価 |
4.1 |
采女城の入り口にて縄張りと説明が書かれています。
一の郭(本丸)には落城の際の説明板があります。
大きな空堀もあります。
とても良かったです^ - ^