隣で野球の試合をしていました。
【概要】 関ヶ原の合戦後に築かれた本田忠勝の城。
昔は95の櫓を擁する名城だったと伝えられています。
その堅固さは、川を利用し、堀でしっかりと囲まれた姿からうかがえました。
【アクセス】 桑名駅から自転車で約10分。
路線バスも利用可能です。
観光案内所でパンフレットを入手しましょう。
【見どころ】 本田忠勝の銅像、美しい水堀、天守台跡(神社奥にあり)
堀巡りの、舟が今日までだったので乗りました。
桜は満開が先週だったようですが、とってもスリルもありの時間を過ごさせて貰いました。
威風堂々、あなたにお会いできただけで、ここに来て満足です。
三重北部で、貴重。
城跡公園整備され、散策にはいいのだけど、規模の割に、おおーっと、と思う遺構が。
すくない。
幕末明治の遺恨が。
破却度高過ぎ。
せっかくの水城だけに、世が世なら、日本◯大◯城と呼ばれた筈。
難しいだろうが、もう少し復元が上手くいけば、町興しとともに、桑名宿の良さ、伝わるだろうに。
みたいなぁ。
隣で野球の試合をしていました。
天気も良く、人もまばらで静かに見ることができ素敵な時間でした。
桑田藩^_^幕末関わっていたことは知りませんでした。
会津藩、桑名藩、慶喜公と幕末、薩摩藩、長州藩と戦ったという話。
最後は自分の意思で最後まで戦い抜いた藩士も。
歴史の奥深さにまたしても感動するばかりでした。
この後、城郭をゆっくり歩き、文化財に指定されている石垣や、刻み石などを見てまわりました。
元々は天守や櫓が立ち並ぶ壮大な城だったようですが、現在は市街地化によって石垣や建物跡が断片的に残る程度です。
なお二重櫓風の建物は水門管理所です。
天守跡の石垣は、倒壊の危険があるため、立ち入り禁止になっていました。
土台だけみると、意外に小さい感じがしました。
桑名城は明治維新期に築港工事によって石垣が剥ぎ取られ、当時の石垣はごく一部にしか残っていない。
水堀の位置も若干違うように思える。
もしも残っていれば水城として今よりずっと観光地の価値があったであろう。
巨大な水堀と小さな天守台跡案内があるのみ。
城跡は九華公園となっている。
鎮國守國神社の右奥に天守台跡がある。
関ヶ原の戦いの後、本多忠勝が築いた水城。
桑名駅から20分に1本のバスで田町下車、徒歩5分程でアクセス可。
播龍櫓の外で看板を読んでいたら、この中で案内等をされている方と色々な話しをして、とても嬉しかったです。
この先、どこどこへ行けばいいですよとも言われ、少し長い道のりを楽しみながら行けました。
桜がキレイな広場です。
すぐ前の柿安本店でお弁当買って食べるのが春のお楽しみです。
九華公園と併せて訪れるスポットです。
天守は江戸中期の大火で焼失し、櫓も明治新政府によって破壊され、濠とわずかな石垣ぐらいしか残っていない城跡です。
赤い橋がお濠に架かっていて風情を醸し出している綺麗な公園でした。
ところで辰巳櫓跡に大砲が置いてありました。
…これはなんなのでしょう(・・?柿安本店の前に本多忠勝の像が置かれてありましたが、ここは城跡ですよ…って言われないと本当にわかんないかもしれません(^_^;)お天気の良い日に…柿安でお弁当買って…九華公園でゆったりとした時間を過ごすのもちょっとした贅沢かもしれませんね。
□概要★★★★こちらは桑名市街の東端に位置し揖斐川に臨む水城です。
桑名城の北辺には東海道桑名宿「七里の渡し」があって、かつては交通の要衝となっていました。
歌川広重の東海道五十三次「桑名」に往時の城が描かれていることは有名です。
幕末の桑名藩主・松平定敬は京都所司代を務めた幕府の重鎮。
戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍ともに江戸に向かい、将軍・徳川慶喜に従い江戸の霊巌寺で謹慎。
そのため、桑名は留守になりました。
会津藩と並んで新政府からは敵視されていた桑名藩ですが(朝敵第1等が徳川慶喜、第2等が松平定敬と会津藩主・松平容保)臣下は無血開城を決め、その証として明治政府軍は桑名城を全て焼き払ってしまったのです。
城跡には現存建造物はなく、わずかな石垣や堀が残るのみで、現在は桑名城址九華公園として整備されています。
平成15年(2003年)に国土交通省水門統合管理所を建造するにあたって、かつての蟠龍櫓跡(ばんりゅうやぐらあと)に建てることとなり、蟠龍櫓の外観復元を行ないました。
東海道名所改正道中記(三代目歌川広重)…の描いた浮世絵が最も参考にされたもののようです。
蟠龍櫓は二重櫓で1階は水門管理所となっていますが、2階は桑名市所管の展望台兼資料室となっています。
□アクセス★★★〜桑名駅から九華公園までの所要時間〜《徒歩》桑名駅東口より徒歩約17分《バス》「本町」下車、徒歩約3分。
別名:扇城、旭城桑名城の本丸、二の丸のあった場所を整備して公園になっています。
城の痕跡は石垣や堀のみ!桑名城は結構広いお城だったんですね。
ここを居城とした徳川四天王の本多忠勝の像があります!すごく綺麗な公園です。
桜や紅葉の時期良さそうですね。
城跡が公園になっていて、めちゃめちゃ立派な天守台と城郭がしっかり残っています。
入口の本田忠勝像もカッコいい!戊辰戦争では、藩主が函館五稜郭まで転戦して最後まで戦ったとのことで、戦死した藩士の慰霊碑も建っていました。
名前 |
桑名城 天守台跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11219,234,410,html |
評価 |
3.6 |
本多忠勝(徳川四天王の一人)が、関ヶ原の戦いの功績により、伊勢桑名10万石に国替えし築城した堅牢な海城。「海道の名城」と呼ばれたが、城主が変わり焼失、明治になり堅固な石垣は港の復興などに使われ、今はその姿を観ることができません。
九華公園として、人々の憩いの場になっているようです。
なお、国替前の千葉県の大多喜城は博物館として模擬天守閣が建てられてます。
(現在改装のため休館中)