小学校の南西隅に移転しています。
碑があるのです。
2023年現在は碑は移設され、道を挟んだ学校の南西角にあります。
下津城跡室町時代の尾張国守護所であり斯波氏や守護代織田氏が居城としていました。
城跡は下津小学校の西側付近とされ現在は県道155号線沿いに石碑が建っているのみです。
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下津城跡にあった城址碑は道路の反対側、小学校の南西隅に移転しています。
道路沿いに石碑が建っています。
気持ち草ボーボーてした。
ロータリークラブの方々が、石碑を建ててくれてくれているのはありがたい。
今土地を所有している人や地元の人に、歴史は支えられているんですね。
道路脇に石碑が立っているだけで通り過ぎてしまいそうになります。
交通量も多いので自動車でのアクセスは少し注意。
室町時代の守護所の跡ですが、ほとんど何も残っていません。
かつて尾張の守護所のあった下津城の跡です。
ちなみに下津は「おりづ」と読みます。
下津城といっても守護所なので、今の私達の感覚では館といった造りだったと思います。
ところで、下津城は文明八年(1476)の兵火で焼失したので守護所は清洲に移転したのですが、もしそれがなければ、この後もこの下津城が尾張の政治の中心だったのか、織田信長もここを拠点にしたのか、そして清洲城のような巨大な織豊系城郭に大改修されたのか・・・現在地表には城の痕跡は何もありませんが、歴史好きで稲沢市民である私にとっては色々興味を掻き立てる場所ではあります。
以下碑文を掲載します。
尾張守護代織田敏廣の居城 であって永享四年には将軍 足利義教も宿泊したという 文明八年西暦1476敏廣は弟敏定 に敗れ城も焼かれ滅んだ ところで碑文には室町幕府第六代将軍・足利義教も宿泊したことがある、とありますが、一宮の妙興寺には義教の肖像画が伝わっています。
妙興寺に肖像画があるのはこの宿泊が縁なのでしょうか。
余談ながら、複製ではありますが、足利義教と織田敏定の肖像画を名古屋市博物館の常設展示のコーナーで見ることができます。
石碑のみ。
周囲が雑草だらけで残念。
名前 |
下津城跡 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
2.9 |
本来の碑がある場所は、ここでは有りません。
区画整理のため本来の場所から移動されてしまいました。
ありえませんよ。
そして、残っていた土塁も壊され無くなりました。