こんなに町中なのにあるんですね、
稲生の戦い。
織田信秀の死後に、信長と実弟信勝との間で家督相続争いがここで行われました。
川沿いの公園になっています。
とてもそんな合戦が行われたとは思えない静かな所です。
昔は尾張国春日井郡と言う地名でしたが、今は名古屋市西区になります。
信長の本陣跡は、近くの名塚神社あたりです。
そこには信長銘板が建っています。
庄内用水沿いに庚申塚(こうしんつか)の石碑と供にひっそりとありました☀️信長はこの戦いの勝利で尾張統一に大きく踏み出しました❗庚申信仰の名残が残るここに合戦の死者の霊を祀ったといわれています。
稲生原古戦場跡(/≧◇≦\)
こんなに町中なのにあるんですね、
信長軍が弟の信勝(こちらの説明でも信行となっていますが信勝が正しいようです)方の柴田勝家と林美作の軍勢と戦った古戦場の跡です。
柴田軍一千、林軍七百に対し、信長軍は七百。
数の上では信長軍が圧倒的に不利ですが、大将の信長が自らが軍を叱咤し、また槍を振るって戦ったので信長軍が勝利しました。
この時、信長は23才でした。
このように、若い頃の信長は尾張統一の戦いに明け暮れていたのでした。
古戦場跡には目新しい供養塔があったので、よく見てみると、この時信長に討ち取られた林美作のご子孫の方が建立したようです。
また私が訪れたのが6月だったので新緑が綺麗でした。
こんなところに古戦場😅
人気もなく、人目もないせいか、賽銭すらも辞退されるほど荒らされてるみたい。
青面金剛像もあるのに、嘆かわしい。
閑静な住宅街にあります。
交通量の多い大通りから一歩入るととても静かです。
心霊スポット。
織田信長とその弟の信行が争った場所です。
織田信長とその弟の信行が争った場所です。
名前 |
稲生原古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
☆兄/「大うつけ」織田信長vs弟/「評判高き」織田信勝、織田弾正忠家の骨肉の争い、政争内紛、桶狭間の戦いの4年前1556年に勃発⚔️稲生の合戦に深く関係した織田弾正忠家/筆頭家老「林秀貞(通勝)」の邸宅跡訪問したので、織田弾正忠家繋がりで訪問🚶☆庄内川の南側、凄い街中で驚き、良く開発されず、街中の一角に現代まで史蹟現存、歴史深き尾張名古屋😲☆信勝方/柴田勝家、林美作守通具(通勝弟)ら兵1700vs信長方/森長可、前田利家、丹羽長秀ら直属精鋭の一騎当千の兵700(佐久間盛重・信盛や連枝衆ら兵1000は信長命令で戦を傍観参加させずとは⁉️)、少数奮戦し林通具らを討ち取り勝利、これまでの織田弾正忠家の禍根を全て断ち切る一戦🐎