名古屋の御坊さま東別院の北に位置する。
江戸時代にたくさんのキリシタンが迫害されて殉教された所だ。
日本のリバイバルのため祈る。
ここでお参りすると仕事でいい事が起こる事があり近くに行ったら立ち寄ります。
栄国寺は、見どころ豊富です。
東別院ついでに程度でしたが、来て良かったです。
ここは、切支丹宗徒200名の処刑場だったそうで、切支丹遺蹟博物館があったり、名古屋三大仏の一つである阿弥陀如来坐像や本堂の鬼瓦、お釈迦様修行像、佛足石、切支丹塚、古亀甲岩思惟の座などなどが祀られています。
是非、お参りください。
早朝に散歩。
刑場の跡に出来たお寺さんだそうで、隠れ切支丹の斬罪を弔う碑を教会が置いている。
小さいながら見所が多い。
敷地内に点在するお堂それぞれに仏像が。
切支丹博物館経由で本堂に入ると、極々まじかに仏様を拝めます。
仏像好きにとっては、うっとりタイム有り👍
月曜日に祝日に行ったのですが、休みで残念でした。
日曜が休日だと思ってたのでーーーでもガラス越しに覗かせていただきました。
東別院の後ろ側にあり、門じゃらは幼稚園が見えたので、違うお寺かと思うほどですが、歴史を感じる仏像、キリシタンの博物館もあり、リベンジしたいです。
名古屋の御坊さま東別院の北に位置する。
この辺り一帯は名古屋に城下町ができた江戸の初期には千本松原といい、尾張藩の罪人処刑場であったという過去がある。
当時幕府はキリスト教を禁教とし、寛文四年(1664)には改宗に応じないキリスト教信者200余名が処刑された。
その後、処刑場は今の西春日井郡に移され、時の二代藩主徳川光友公が丹羽郡塔ノ地村(現在の扶桑町)の薬師寺の阿弥陀如来像を本尊に迎え、栄国寺と改めた。
この阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作で、八事の興正寺大日如来、熱田の雲心寺阿弥陀如来と並んで名古屋三大大仏の一つと言われている。
その他の仏像は、微笑弥陀仏、清涼寺式釈迦如来像、円空仏など多数。
隠れキリシタンに興味のある方は是非とも訪問していただきたいお寺さんです。
名古屋の中心にあるのでアクセスも良く、地下鉄から多少歩くものの行く価値は十分あります。
写真にある栄国寺のしおり(500円)には、展示品の詳細が記載されているので、館内を見学する前に購入して一緒に見るのがオススメです。
写真撮影可能という点も含めてとても良いです。
切支丹塚(千人塚)がありました。
きらびやかなお寺ですね。
八重桜が咲いていました。
ここは名古屋に来たら必見です!有名な内臓を入れた仏像をはじめ、キリシタン文化と歴史の宝庫夏場は蚊に注意。
断言する、名古屋でトップクラスに素晴らしい価値のあるお寺、なんたって名古屋大空襲の難を逃れ、文化財がゴロゴロしているのだ。
博物館は狭いが100円の入館料が申し訳ない、御住職、大変お世話になりました。
また訪れます。
断言する、名古屋でトップクラスに素晴らしい価値のあるお寺、なんたって名古屋大空襲の難を逃れ、文化財がゴロゴロしているのだ。
博物館は狭いが100円の入館料が申し訳ない、御住職、大変お世話になりました。
また訪れます。
とても綺麗な寺院です。
癒されますね。
ゆっくりお参りも出来ました。
御朱印も頂きました。
名前 |
栄国寺 |
---|---|
ジャンル |
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電話番号 |
052-321-5307 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
名古屋市中区にある清涼山栄国寺。
尾張名所図会にも描かれている歴史があり趣のある寺院です。
境内には切支丹博物館があります。
本尊の阿弥陀如来坐像は、尾張北部の丹羽郡塔ノ地村・薬師寺から光友が移させた仏像で、「火伏不思議の弥陀」と称せられ、鎌倉時代 仏師春日の作です。
薬師寺付近も大火がなく、戦時中の名古屋大空襲でも、栄国寺付近の家屋の焼失はまぬがれました。
この阿弥陀如来像は名古屋三大仏のひとつです。
尾張藩の初代藩主の徳川義直、二代目藩主の徳川光友は、徳川の切支丹弾圧の時代においても、当初は切支丹に寛容であったとされている。
1631年(寛永8年)より、藩内で切支丹伝道に携わった者の処刑を始める。
1644年(寛永21年)から、1645年(正保2年)にかけて名古屋城中からも切支丹が捕らえられ、1664年(寛文4年)には切支丹宗徒二百余名が処刑された。
1665年(寛文4年)、徳川光友が、刑場を千本松原から土器野(現・清須市)に移し、千本松原刑場跡地に、西光院第9世任空可信を開祖として開基とする。