名前 |
棚倉下町墓地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
5.0 |
廃藩置県で職を喪った舊棚倉藩士族。
今で言う町役場職員の仕事が無くなるも、旧領忍や白河に戻れ(家老職などは邸宅を個人所有で建てるよう、白河領時代に指示あり、造成していた)ない人々はこの地に残らざるを得なくなります。
棚倉流〜近津の辺りは多くの士族を戊辰戦争の疎開から引き揚げて来た頃、受け入れていて此処を起点に棚倉縣〜磐前縣はやりくり出来ていました。
そして城北にやっと個人の家を持ち始めた頃お墓問題が勃発。
そこで舊棚倉藩士族の町長らが流の舊士族檀家らと協議して出来たのがこちらの墓地です。
舊士族(横田家、宇津木家、芦野家、仁平家他)の他、明治6年6月、国弊中社となった馬場都々分氣神社に赴任された 磐前県士族秋田季臣 宮司のお墓等もありました。