椎の木屋敷にある地図見ますと郷土資料館あたりが三の...
史跡巡りで来訪。
公園は静かで散策向き。
刈谷城の生い立ちは近くの歴史館や郷土資料館に全体像のジオラマがあり参考になりました。
土塁や水堀跡など残っています。
櫓などの復元計画賀あるようですが、進んではいないようです。
「鬼日向」水野勝成、刈谷藩/初代藩主の城跡、家康生母/於大の方由来の地と歴史的にはワクワクする内容の刈谷城(別称/亀城)だったのですが😰何となく堀が変な色の池、本丸跡が少し高台で公園・散策地、築50年の十朋亭がポツンと、今は桜の名所「亀城公園」。
周りに市民体育館・野球場・小学校・利用者の駐車場だらけ、更に不相応な歴史博物館、その間にある木の繁っただけの公園、ここは本当に憩の場?「城跡」としては壊滅的、本当に殆ど何も残ってない刈谷城址、驚きました😥明治以降の所有者変遷、払下げ時に建造物から石垣まで無くなり、戦時中に対空砲陣地u0026 畑となりって、仕方ないんですかね、何か寂しい😆・1645年頃の幕命で描かれた正保城絵図「参州刈谷城絵図」が現存、国立公文書館デジタルアーカイブで見れます、東向きに大型の角馬出を設けていたとは初期の戦国の趣(城郭検定出題)、1715年頃の正徳期の城絵図と少し様子が違うので比べるのも一興😄・刈谷城の一部建造物復元の看板見ました、その南東部城地だけ樹木伐採され芝が養生されてました、看板通り辰巳櫓(南東隅櫓)と土塀?多聞櫓?を復元する予定なんでしょうか?向かい側に野球場があって何か冴えない、中途半端ですね🥺【余計なお世話❕】・当初計画、刈谷市「刈谷城建造物復元基本設計図(案)」拝見しました、凄い設計図でビックリ、表門・裏門・辰巳櫓・多聞櫓・土塀を復元、でも予算過大に計画内容を大幅縮小⁉️・2015年の「刈谷城跡確認調査概要報告書」を拝見しました、平成21年~26年の5度の発掘調査、本丸跡の南側/表門周辺~辰巳櫓周辺~東側/裏門周辺の調査、復元予定エリアだけなんですね調査。
・耐震設計されていないであろう「十朋亭」は、あの場所にそのままなんでしょうか、移転して「戌亥櫓/北西隅櫓」の礎石部調査は、後は本丸跡の訳の分からない庭園も整理、辰巳櫓復元前に本丸跡周辺の整理整頓が大事なような😅【勝手な思い付き❗️】城址に何も無いのを逆手にとって😲⭐️宇都宮城⭐️・戊辰戦争の2回の宇都宮戦争で城も城下町も壊滅、跡形も無くなる。
・JR宇都宮駅も繁華街も近く、都市開発で遺構も失われる。
⭐️復活‼️宇都宮城址公園⭐️・歴史復元構造物と防災公園の合体🙌・清明台櫓、富士見櫓、土塀、土塁、石垣と堀を復元して都市「防災公園」指定、一石二鳥、用地買収7億を含めて締めて総事業費約33億。
・真ん中の広場には復元構造物なし。
・桜の名所で桜祭り、餃子祭りなど市民フェスタなどに解放利用。
・今の刈谷城址整備予算30億?・周りの体育館、学校と合わせて災害対応地域に🏃と勝手に、ですが宇都宮城址は史実には正確ではありません、皆に受け入れてもらい将来に活用するための折衷案なんだと思いました🤔
刈谷城(刈屋城)は1533年(天文2年)水野忠政により築城。
徳川家康の生母於大の方も住んだ城である。
今は亀城公園の中に城跡の石碑があるだけですが、隅櫓や石垣、城門を復元する再整備計画があり、2019年(平成31年)3月24日に刈谷市歴史博物館が開館し、2020年度(令和2年度)以降に隅櫓や石垣の完成が予定されている。
ただ、コロナの影響なのか大幅に遅れている模様。
水野氏の城。
紅梅が 満開でした。
3月7日。
公園や球場として整備された際に、これまで散々『歴史的価値』を破壊し、改変しておきながら、今になって城跡公園として『再整備』するって「今更感」が満載ですよね。
まずは、球場を撤去して現状復旧してから掲げてもらいたいものです。
1533年水野忠政築城で亀城とも呼ばれたようで、徳川家康の生母於大の方が育った城とのこと。
整備中のようであるが、それにしてももう少し過去より城址の風情を残して欲しかったと少し感じるため、史蹟としての価値は薄い。
資金潤沢な刈谷市なのであるので早期な整備着工を期待したいが先が長そうだ。
公園になっています。
小高い丘の部分がお城だったのかなと。
土塁跡も何となく。
池はお堀かなと。
現在は公園で遺構はありません。
現在は亀城公園となり堀や曲輪、土塁が残っており、説明板も若干設置されています。
本丸跡にある十朋亭は三層の櫓があった場所になります。
公園として残してあるだけ縄張りが生きているからまだマシだろう。
この上に何か建った日にはすべてがパーになる。
あまり昔の痕跡を留めていないと思います。
石垣も全く残っていませんし・・・もっとも江戸時代の絵図を見ても、天守は勿論、建物もあまりないし、石垣も門や櫓といった重要な部分だけで主に土塁を使った城だったようです。
説明板によると、現在、刈谷市は城の整備計画を進めているようです。
本丸を中心に門や櫓を復元するようですが、老婆心ながら申し上げますと、西尾城や駿府城を参考にすると良いかと思います。
子供の野球試合前に時間があったので周辺散策。
さくら満開でお花見シーズン。
公園の一部が城跡なのか、城跡が公園なのか微妙ですが城跡は今後整備されるのか工事する様子でした。
刈屋城本丸跡。
一番の高地にあり、本丸跡碑が建っています。
豊田佐吉翁の像がある辺りが二ノ丸跡です。
戦国時代、緒川城主水野信元がこの地にお城を築城した。
それにより尾張と三河の境目を支配した。
甥の勝成まで刈谷城の水野氏は刈谷城主であった。
水野勝成が奈良の郡山に移転したあと、普代大名が城主になる。
久松松平氏や土井氏など。
明治時代に入ると城は廃城になった。
その時に城の建物も壊された櫓や石垣、門など。
そこそこの規模の主要部分の水堀が残る。
2016年現在、城址公園化に向けた復興再整備中。
本丸の現代建築物の中に刈谷城の江戸時代の様子の復元模型や歴史紹介アニメの展示物が有る。
今はまだまだ明治以降の破壊されたまま未整備だが、これからに期待!
名前 |
刈谷城跡 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0566-63-6100 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.kariya.lg.jp/kankobunka/rekishibunka/rekishi/1001959/1001973.html |
評価 |
3.5 |
三の丸の案内板はないですが、椎の木屋敷にある地図見ますと郷土資料館あたりが三の丸になります。