桶狭間の戦いの戦地が公園になっているということでや...
ここがかの有名な桶狭間ですか。
住宅街の中の普通の公園。
付近の子どもたちの歓声が、押寄せる信長軍の声に聞こえた私は、今川義元の墓前にボーゼンと立ちすくんでいました。
桶狭間の戦いの戦地が公園になっているということでやって来ました。
銅像、ジオラマ、説明看板がありますが、わざわざ来るほどではないかなと感じました。
有名すぎる合戦なので、ぜひとも盛り上げて欲しいところです。
本来の古戦場とは違う場所に有るので『???』って思いながら寄ってみたら、公園内には古戦場のジオラマを配置してあって自分がそのルートを辿ることができるようになってる公園でした。
2人以上で今川軍と織田軍になりきって辿ると良いかも。
ARなんて良い物が導入されてるので読み込んでみたのですが配布期間が終了してるのかエラーになりました。
長篠城から高速1270?余り地形も判らず平地の公園でした。
ボックスに史跡地図のチラシと周辺名物店のパンフレットが1人一部ずつ取って下さい近くに池有り小学生の時は番狂わせ的な興味がありましたが、今ではちょっとこの後織田信長公、必ず相手以上の兵力で合戦するのが定石となったとか。
一生で一度は行っときたいって思ってた場所です。
桶狭間の戦いがあった古戦場公園です。
めっちゃ有名な戦いがあった場所やし観光名所になる思うんやけど小さい公園でした。
せっかくの観光資源なのに勿体ない話やな。
こちらの公園で今川義元が毛利新介に討ち取られた場所として首塚がありました。
今川義元が本陣を置いてた場所はここから5分ぐらい歩いた先になります。
もっと色々資料とか設置したら良いのにね。
ただ名古屋って平野が大きいのにこの辺だけ少し起伏がある小さい山やったのは理解できました。
偶然見つけましたが良かったです。
小さな公園になってます。
歴史好きは行ってみる価値はあります。
紅葉のこの季節、晴れていると戦国武将が映えます。
近くにある観光案内所で300円で甲冑を着せてもらえるので、それを着るとさらに映えます。
普通の公園の中に銅像があるだけとも言えますが歴史を感じます。
中学受験の勉強をしていると社会では秋のこの時期に桶狭間の戦いを学ぶので、学びを深めたい方は訪れる価値があると思います。
地域のボランティアの方が熱心に丁寧に説明してくださるのも魅力です。
もうひとつの桶狭間古戦場伝説地と違い明るい雰囲気です。
二者の銅像も良いですね😃本当にここで戦いがあったとは思えない雰囲気です。
公衆トイレもあります👍
ジオラマ公園になっててわかりやすくて良い😊オススメは桶狭間古戦場観光案内所に行くことこちらは保存会の方が親切丁寧に教えてくれますウォーキングに最適✨🍀
桶狭間がどんなものか知りたくて行って来た。
公園自体はかなり小さい。
ジオラマが配置されているので、当時の陣配置は歴史を知って居る方には分かりやすいとは思う。
QRコードを読み込んでのアプリ上での説明もあるので、しっかり調べたい方は現地でQRコードを読み込んで下さい。
記載する事も考えたが、行って観て楽しむ事が良いのかな?と思えたのでw人は少ないからコロナ禍のこんな時には、お弁当持参してなどピクニック的な感じで良いかも知れない。
また夕方近かったのもあるのか、カラスが木に陣を展開。
その下にクロネコさんが1匹。
カラスがカーカーとクロネコに向かって騒いでいたのが、クロネコ(信長)カラス(義元)のような風景に感じたw
子供たちが遊ぶ公園の一画に整備されています。
桶狭間の戦いのジオラマも作成されていますが、説明図の方がわかりやすかったという印象です。
豊明市にある伝承地の方が趣がある気がします。
一見普通の住宅街の中の公園ですが。
親切なガイドの方にいろいろ教えていただきましておもしろかったです。
豊明市のほうの古戦場史跡となんだか仲が悪そうです…。
それほど大きな公園ではありませんが、江戸時代に建てられた石標や「義元公駒繋ぎの杜松の木」など桶狭間の合戦に関する遺物を色々見ることができます。
「義元公駒繋ぎの杜松の木」は豊明の古戦場公園にもありますが、偶然でしょうか?また、かなり手は加えられていますが、「義元公首洗いの泉」もあります。
更にこちらには今川義元と織田信長の銅像もあります。
義元の方は床机に腰かけていていかにも大将らしい姿になっています。
弓を手にしているのは「海道一の弓取り」と言われていたのを意識してでしょうか?一方、信長の方は立った姿になっているので、大将というよりも一兵卒のように見えます。
手に槍を持っているのは『信長公記』の桶狭間の合戦の記述にある「信長鑓おつ取って大音声を上げて、すはかかれかかれと仰せられて…」を意識してでしょうか?いずれにせよ歴史に興味のない人には特に感じるところのない公園でしょうが、興味のある人にとっては非常に面白いスポットだと思います。
合戦前夜に信長は能を舞った後、雷雨の中、早朝に今川義元に奇襲をかけ勝利した場所。
小高い丘に登ると周囲は沼地で信長軍に圧倒的数で優位に立っていた義元も気が緩み防衛隊も総崩れ。
結果ここで義元も首を刎ねられたのである。
小さな公園内に古戦場の案内と立派な像があります。
沢山の子供たちが公園内で遊んでいる中、一人真剣に案内図や像を見ていました(笑)駐車場が無かったので近くのスーパーに停めて歩いて行きました。
時間があれば、案内図にある近くのお城にも行きたかったな。
2020.12.27訪問桶狭間古戦場公園は、合戦から450年後の2010年(平成22年)に整備される。
「織田信長、今川義元の銅像」や「今川義元の墓碑」があります。
その他にも、泉の中に桶がくるくると回っている「義元首洗いの泉」や、今川義元が愛馬をつないだとされる「馬つなぎの社松」なども一見の価値があります。
「桶狭間の戦いジオラマ」があり縮小されて一目で解るようになっています。
歴史好きの方には一見の価値が有ります。
公園の周りには桶狭間古戦場で数々の遺跡が残っています。
戦国史の転換点となった戦の雰囲気を味わえます。
義元本陣跡から古戦場公園までの起伏の多い地形を歩くと、この戦のダイナミズムのようなものを肌で感じられます。
織田信長と今川義元の像が真ん中でインスタ映え間違いなしでしょう大きくはないのですが、綺麗に整備され清潔感のある気持ちのいい公園です。
ただ、生首を洗った云々の話で小川の水が薄気味悪くなったのは私だけではないでしょう(笑)お清めをしたということですよね、うんうん。
今川義元の墓碑「駿公墓碣」他もありましてお花などが供えてありました。
🙏
名古屋で生まれ育ちながらも、初めて来てみました。
歴史のことを勉強しておけばよかったと今更ながら後悔しています。
公園内に討ち死にした今川義元公の首を洗ったと言われる湧水があります。
また、真偽はわからないけれども、本能寺で自刃したと言われる信長公の首を埋葬したと言われる首塚がありました。
公園になっていて、銅像などもあり、近くには色々史跡もありウオーキングがてら、廻るのも良いでしょう。
まさにここで桶狭間の戦いが行われた!それにしては住宅地の普通の公園って感じもするが、しっかり今川義元と織田信長の銅像もあり、公園の半分が戦のジオラマになっていたりと工夫がされている。
歴史好きには良いところですよ🎵でも、桶狭間ってもっと深い谷かと思ってたけど、結構平坦なんですね。
地元ガイドさんの素晴らしい説明で、見て回りました。
織田信長から見た桶狭間でなく、今川義元から見た桶狭間を知ることができました。
義元は、よい領主ですね。
また、情報戦を制して勝利した信長は、現代に通ずる偉大なリーダーでした。
その時歴史が動いた‼️ここから本当の乱世から戦いのない世界へと動き出したのでしょう❗情報合戦と捨て石。
雨🌧️の味方もあったのでしょうね?相手に隙が出来るよう本当はどこまで出来たのでしょうか。
せっさいぜんじたいげんすうふうが亡くなられたのも不運?バラバラだった尾張も事実ですが反勢力に纏まりもなかったのでしょう❔❓その意味では三方原辺りも複雑だったかもしれません。
朝倉たかかげと同じ纏める力があれば朝倉も変わっていた?(朝倉たかかげは二人存在しました。
しかも同じ漢字です。
二人とも立派な武将です。
)浅井家は結局朝倉の属国にしかありませんでした‼️小国は大国に頼るしかなかったですか❔❓浅井長政の力量が全く分かりません。
竹中半兵衛重治は好きです。
黒田官兵衛よしたかも凄いです。
触ると熱出る呪いの木があるのは、ここで合ってるのでしょうか?⬅︎間違えました。
江戸時代のここの話でした。
今は関係無いです。
今川義元公の霊魂は、ここでの敗北が余程悔しかったらしく、明治中頃までここら辺色々な怪異起こりまくって、近く通る人々を呪い殺しまくったらしい。
明治中頃、地元の大工が今川義元の墓の近くで白蛇を目撃した事を他人に話したらその日から三日三晩高熱続いて死んで、呪い殺されて、恐ろしくなった地元の人々が高徳院住職に依頼して、最終的に高徳院境内に祀られたらしい。
アピールし続けるってのは大事なことだよね。
それにしても 無念度数 高いね。
今川義元公の供養塔ある龍神様(!?)として祀られている高徳院と併せて訪れるのも良いのではないでしょうか。
呪い怖いけど。
今川義元って、この合戦の行軍中に兄者の霊に通せんぼ されたらしい。
負けるからヤメろって。
先人達が残した歴史、教訓を未来の子供達に伝え残していただきたい。
そうしないと、自分の事しか考えない、ほら映像見たでしょう、あのあおり運転。
あんな人達がいっぱい出て来ますよ〜。
くわばらくわばら。
桶狭間古戦場ですが、謎が多くて本当のところは、どうなっていたのか分かりませんが、一応、訪れてみたくて来てみました。
現在、残念ながら、この周辺は現在は住宅街ですので、古戦場を偲ぶといった風情に浸れるところではないですね。
謎が多い桶狭間の戦いですが、いずれにしても、織田信長公が今川義元公を討った事実は残りました。
その後の織田信長公の躍進は御存じの通りですよね。
でも、信長公って、最後の本能寺の変も謎が多くて、いったい、明智光秀公をそそのかしたのだろうか?という謎も気になります。
それに、武田信玄公、上杉謙信公の都合の良い死に方もホント気になります。
ホント、織田信長公、謎、多すぎで、そのスタートの地かと思うとちょっと、感慨深いものがあります。
歴史のなかでの大きな出来事として知られる1560年の桶狭間の戦い。
こちらでは450年記念として平成22年(2010)に公園として整備して信長と義元の像の他、看板やパネルで解説があります。
観光地というよりは地元の方の憩いの場のような感じです…💦トイレは男女共用一つのみなのでこちらに訪れる前に済ませましょう。
駐車場はありません。
地域住民向けの公園風ですが、桶狭間の戦いの内容を知る事が出来る他、今川義元の碑があったりと、合戦場の臨場感は周辺の地形からも味わえる場所だと思います。
お祭りが毎年あります。
昔桶狭間の乱があった碑が残り、歴史の学習しながら、公園で遊べます。
子供の頃から行きたかった桶狭間古戦場跡。
ようやく来ることができました。
しかし、豊明市の古戦場跡と名古屋市側のこちらと二箇所あるとは知りませんでした。
やはり一度は行ってみるべき場所です。
歴史に思いを馳せるのもいいものです。
名前 |
桶狭間古戦場公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-625-4940 |
住所 |
〒458-0913 愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
真田戦記桶狭間合戦場公園愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目100111/17に桶狭間合戦場公園に行ってきました。
いわくつきの公園永禄3年5月19日、駿・遠・三の大軍25000をもって西上の途にあった今川義元はニュースター織田信長の登場により予期せぬ戦死となりました。
信長はその後、尾張国内を統一し松平元康と清洲同盟を結び美濃攻略を敢行しました。
信長、天下布武の第一歩です。