林の中を50メートル程歩くと頂上です。
ここを登っていってもグラウンドがあるだけです…
あくまで伝承地。
「信長坂」「釜ケ谷」信長はここへ来ていない、嘘だ、ここは昔は池だった。
土砂降りの雨の中、桜花学園大学前の“釜ヶ谷”に身を潜めていた信長主従は、この“信長坂”を駆け上り、谷をはさんで目の前300メートル先で手に取るよう様に見える今川義元の本陣 (義元が載っていた輿)を見つけ、さぞかし興奮した事でしょう。
信長公記によると、ここで信長は、『すは かかれ かかれ』と大音声を上げ攻め込んだそうです。
その場所に、2016年12月6日に“すは かかれ かかれ の石柱”が建てられました。
織田家の家紋を彫り込んであり、記念写真の背景になります。
この石柱前から名古屋市緑区側の桶狭間古戦場が見えるだけでなく、もう一つの豊明市側の桶狭間古戦場伝説地も見渡す事が出来ます。
目を瞑れば457年前の地響きと人馬の喧騒が聞こえ、情景が目に浮かぶ場所です。
信長坂のブロックで土留された階段を38段上がると左側に林があり、入口の階段を数段登り、林の中を50メートル程歩くと頂上です。
先方に織田の家紋が入った石柱が見えます。
ここから今川義元の本陣があったと伝えられる場所が目の前です。
名前 |
信長坂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
「しんちょうざか」と読むらしいです。
数年前まではここは竹藪だったそうですが、それまでは信長さん率いる軍勢がこの坂を駆け抜ける様子を容易にイメージすることができたと地元の人が仰っています。
今では綺麗に整備されて、中々イメージすることができません。
坂の形状も今とは違っていたことでしょう。
Wikipediaによると、『信長公記』には、その時降っていた雨が「石水混じり」と書かれているので、雹だった可能性があります。
普段は許可がないと立ち入れませんので⭐︎マイナス1です。
現地のツアーに参加すれば入れるようですが、もっと自由に見学させていただきたいです。